ポジティブ ネガティブ

ネガティブ ポジティブ

幸せの法則 陽転思考

いい加減このような西洋からきた 単純思考洗脳 から脱皮しよう
それが今回の記事の主題だ
貴方は、今急速に広まっているこれらの マインド 思考法 を本音の部分でどうみているだろうか?

もしやこれを方便でなくて 本気でみているなら! ちょっと立ち止まって 哲学に没頭 することをお勧めする


キーワード

今日 私は、次にどんな記事を書くべきか? 悩んでいた
それは前回の チャクラ という タイトル の記事で次項 クンダリニーヨーガ について話すことをある程度 宣言しているのだが・・・

今一 シックリ こなかった なぜなら昔一度これに関してブログに書いたことがあるし、話したとしても どれほどの 認識力 で読者がそれを理解してくれるか? まさに今 スピリチャル 花盛りの現在で クンダリニーヨーガ の詳しいプロセスを話しても

その危険性 や 特殊性 をどれほどの人が知った上で読んでくれるか? ハタハタ疑問もあり 今一気が引けたのだ
そんな中 ネットサーフィン しているとまたもや!

【重要】人生で関わってはいけない人【5パターンの解説/逃げよう】

【お先真っ暗な人】2020年 ヤバい人の特徴5つ!

このような・・・
(  別にこのサイトのみではなく 実際たくさんあるのが )
「 こんな人とは縁を切ろう! 」といった類のサイトを数個みかけた そしてそういったサイトやブログを追っていくと またもやでてくるのが!


ポジティブ ネガティブ 思考

だ そして 最後にこうだ


⇒ ネガティブ な人を避けろ! 縁を切れ!

(※ 別にどのサイトや団体がそうだなどというつもりはない、ハッキリいえばそこら中そうだ、例えば ブッダかずひさ とて似たようなものだ
またほとんどの場合それは 「 度がひどい場合は 」という前提が入るため それなりには納得できる しかしこういった「人を無視しろ 近づくな」ということを推奨しているサイトや団体は多い )

( ※ ちょいとここで 感情丸出しの本音を叫ばせてもらうなら まずダイレクトに上の動画でほざいている連中にバシーっといってやるなら たったの一言だ )

『 お前らの浅い人生では、まだまだ物事を認定する段階じゃない 』

しかしそれをいった段階で それが意味するとことは、ついに 日本人はここまで落ちぶれてしまったことを証明してしまうのである 残念なことに! 正直自分さえこの実態から逃げていた ほんの一瞬前までは!

事実 上の動画でいっているような観点とは、ここが重要だ ⇒ そんなもん昔から若者とはそうだよ 何をあたりまえのことをほざいてんの?
こんなもんは、昔からあたりまえにある 若者の希望特徴をいっているにすぎない! 何も新しいことでも何でもないといえる

 誰もがあたりまえに嫌がることを切り分けて整理しているにすぎない なぜならこれらの動画で意味していることを簡単にまとめるならば、この世で苦しいことは簡単に一切なくなるからだ つまり人間にとってほんとの意味で苦しい事とは、ほとんど全てが対人関係にあるからだ

 それをちょっと癖のある者を、分類別にまとめあげ それらと付き合うな ということが実行できるならそんな簡単なことはないのであり
魂の修行はおろか マインドすら即座に狭さを極め 何の成長もなくなるだろう 全く滑稽以外の何ものでもない

黙りこくる年配者

さらにいいたくなるのは!

『 おぃ!50代以上! ぼぉ~っとしてんじゃねーぞ 若者をほったらかしにしたらあかんぞ! おいおい どんどんおっかしな方向に走っていくのあんたは見て見ぬフリか? 何をためらっている! またもやなんか若者がどんどん部分主義におちいっているのがわからんか! ちゃんと年配者としていうべきことは言え!「自分の子供だけ」ではダメ! ちゃんと社会に対する できる範囲の奉仕 を実行しろ! 部分真理に陥っている若者にカツをいれてやれ! 』

これが自分の本音だ もちろん今の若者には、昔の若者になかった精巧で 本物志向 という長所もある
決して今の若者が昔より劣るなんて全く思っていないし 私個人としては、総体的に昔より質は向上しているとさえ思っている

しかしだからといって万事いいわけではないのはあたりまえだ、所詮はまだ人生の酸いも辛いもわからない若者で、人間完璧な者などいないのと同程度でそれはいえることだ

まして今の我々50代の世代は、後輩にちゃんとした道徳を教えるのをちょっとばかり手ぬかりした というフシがどうしても自分には否めない

私にとっては45歳ぐらい以下は全部若者だ、いゃこのあたりに溝がありもう48歳ぐらいから下は自分にとってかなり若者だ、したがってこれを読む人で感受性にたけている若者に言いたいのは

「もし貴方の周りで、ネガティブ・ポジティブだけで人を測る風潮に何も異論を言わない50歳以上の年配者がいたなら、それは大ウソつきか よほどずる賢い輩か あるいは意志薄弱か馬鹿か 人生諦めているか?のどれかだろう」

これにつきる ほんとの本音とはそんなところである

 この観点一つとっても もし↑の動画でいうような事が真理であるなら この今 自分が「」の中でいった 諦めの境地の年配者 または 狡猾で周りはどうでもいい年配者 こそが理想となるのだ わかるだろうか?
本根の奥で こいつら今の若者というのは、なんて馬鹿なんだろう と思っている癖に自分の保身のためにそれを表に出さない そういう奴を認めていることになるのだ

心地いい人の実態とは!

それはかけてもいいだろう 上の動画で若者が主張しているような内容をただぼぉーっと眺めて何も言わない年配者がいるとしたら それはまず99% 本音ではなく 本根ではむしろ徹底して見下して さてさてどうやって利用してやろうか? と考えているにすぎないだろう
もちろん!まれに本音から賛同している低能な年配者もいるかもしれないが・・・・・

自分にとって 心地いい人 それだけが認められるべき人間だ とする輩は、嫌と言っても後でもめる原因を抱っこする運命にあるといえる
例えそうならずとも 今度はおそらくこのような内的矛盾 というのは人生の大分後になってポツリ顔をだしおそってくるというのが現実だ
なぜなら「 自分にとって心地いい人こそが自分にとって必要な人だ 」
とする理論にすでに 潜在意識下 の誤魔化しがあるからだ (^^)
んなこたぁ~あるわけねーだろ という次元でそれがわからないといけないのはいうまでもないことだ こんなことは常識レベルで、思考に歪みがあることに気づかないといけない これおわかりだろうか? こんなことは理屈以前の直感の世界だ

事実こういったことを平気で訴えているカウンセラーやスピリチャリスト自身 その
無意識下においては! それがわかるからこそ! 無差別の公共の場でしきりにこのような訴えをしているのだから! おわかりだろうか? 彼らもその無意識においては自分達がいっていることは生命全体としては、ちょっとおかしいことをしっているはずだ
なんといっても人の心を読むことが職業なのだから!

でもそれが表層意識においてはわからず そういった箇所に すでに悪因を抱え込むのである

これだ そういうときこそ若者は遠慮せず そういう年配者にいってやるべきだ いゃ年配者だけでなく こういう単純馬鹿には言うべきだろう

「貴方はネガポジで人を判断するんですか?」と!
「貴方はちょっと癖のある人は平気で無視するんですか?」と!
「そんで宇宙人ですか?」と!

まさに 宇宙人のまえに反日野郎なんじゃねーか? と疑ったほうがいいかもしれない
(場合によってはだが・・・)

そのようなちょっと癖のある者を意図も簡単に無視しろだの 縁を切れだ のいう精神は


元来日本には一切なかったものだ

(唯一それをやっていいのは、明らかな反日的な輩といえるだろう しかしこれとてわからせてやり もし認識できたならそれ以後は別だ しかしまぁこの場合 それはまずありえないだろうが・・・・・
※もし反日的な避けるべき対象の場合は、組織のトップにいうべきであり、またこの記事の対象はどこまでも同じ日本人の場合だ
反日国家の反日分子が癖のあることをいってきたなら、それは無視すべきというより闘うべきことだ )

元へ


バブル絶頂期

なぜにそんな結果になってしまったのか? といえばそれがあの バブル絶頂期 というものが成せる技だったのだ

あの時期は全てを狂わせた、到底あの時期に 後輩達に堅実な道徳など教えれる心的状況にある奴など誰もいなかったのだ

それが今の若者の 単純化 部分刹那主義 結果のみの最重視主義 これらを生み出す一役を担いでいると思えてならない

それが証拠に、今の若者のような風潮が社会でポツリポツリ蔓延してきたとき そこら中で評論家なる者はいっていたのだ

最近の若者の特徴

「 今の若者はゲームの影響なのか?結果だけを求める 」「 途中経過を無視して物事の判別を急ぐ 」などなどそこら中で批判の声があがっていた

それがどういうわけか最近はなくなってきた 逆にそれがあたりまえであるかのように社会が動きだしているのがバカバカしい限りだ

人の性質は全く変わらない

まぁ簡単な話、めんどっちい事やややこしい道徳論を誰もが避けるようになってしまっただけのことで、人というものの性質が変わったわけでも

アセンションがおこるわけでもなんでもないことがわからないだろうか?

しかし だからといって我々が若い頃に聞いたような教説でそれをわからせようとしても 聞く耳をもつ若者はいないだろう

いうからには、今の時流にそった いいまわし でいうべきともいえる

縁起の法

では、私はここに ハッキリいおう ネガティブ ポジティブ 理論は明らかな間違いであると そして スピリチャル こそ! それは最もやってはいけないことだと

簡単に結果からいうなら ほんのちょっとでも スピ系に また仏教に詳しい人なら、これが如何に間違ったマインドか? すぐわかるはずだ

まずは 悟りの教学的内容からいうなら! いわゆる縁起の法を考えればそれは一発でわかる
ゴータマシッダルタが説いたであろう 縁起の法 それをもっとも生々しくいうなら

「 これ有りて あれ在り あれ在りて それ在り ・・・ 」

そして宇宙 ( 精神も物質も ) は構成されていく

ここに 最近いわれている ポジティブ を当てはめてみればわかる そう!

ポジティブ あれば ネガティブ はあるのだ ポジティブ があるということ自体 その全く逆のネガティブを創出してしまうことを意味する

それが自分の内面だけのことなら 上の縁起の法があてはまらない 悟り 解脱 の境地という特異点は在ることはある

しかしその域に達していない日常においては必ず 縁起の法 がものをいう ・・・・・ ①

そしてさらに! 特に仏教において何がいわれているか? 釈迦が最も重視したマインドとは何であったのか? それは

慈しみ 

ブッダは時に 悟りより ときに『 慈しみ 』の重要性をといている 慈しみとは何なのか?

おそらく 仏教の神髄をわかる人は、これを言われてしまっては、ポジティブ・ネガティブも影を薄めることを知っているはずだ

慈しみ とは決して! 合理的な思考で割り切ることができない 大きな 慈悲心 であり 仏教が最も重視する点である

この 慈しみ への強い拘りをもってして、仏教は他の 古代インド において、その当時の他の ヨーガ学派 や 異教より遥かに優れたものになったといえるのである

ん? 「 じゃ その 慈しみ とやらを合理的にわかりやすく説明してくれ 」

それに対する回答は、「 馬鹿もん! 」 その一言だけだ

でも!ここは我々が若い時の年配者みたいな態度はやめて、説明しよう

慈しみ とは 理屈を絶対的に突破した概念であり、生命の生命たる実在から沸き起こる認識だ 簡単にいえば!

慈しみ


貴方は、自分の愛ネコが貴方のスマフォの画面で玉とりをやって スマフォの画面を傷だらけにしたとしよう

その場合 その愛猫を憎み処罰を与えるだろうか?

ちがうだろう、なかにはそういった冷酷な奴もいるかもしれないが・・・
逆に貴方は、困りながらも猫を尚一層愛らしくおもうだろう

だから簡単にいってそれは、愛とか慈悲心だ といえば確かにそれも含まれるが、それだけではないのである

しかし低能な者が、それを間違って解釈すると愛着とも間違ってしまうため 安易にはとらえないでもらいたいが

現象宇宙の全生命の表現形態への 敬意と感嘆 また慈悲

そのみせている表現への「 愛 」というしかない

おわかりだろうか?

私は安易に「 愛 」などという言葉は使いたくないが やむおえない これの説明ではどうしてもそうなってしまうだろう

この 慈しみ こそが、釈迦が最も重視した 仏教の仏教たる所以なのだ 別に 悟りや解脱 の 方法論は古代インドにおいて 全く!全然!めずらしくもなんともないわけである

仏教がそれらから さらに普及した 大きな要因とは この物事への『 慈しみ 』にこそあったといってもいいくらいだ

もし悟りや解脱の現象面の実態だけをいうなら 釈迦よりさらなる高みに至った聖者はいくらでもいるのであり 例えその場合であったとて!

その大前提の大前提は、この 慈しみ だ これがわからないうちは 間違っても そんな大そうな悟りや解脱など至るわけがないのである
なぜならこれは 決して理屈で割り切れる 概念 ではないからだ
賢明な人ならわかるはずだ 悟りにおいて ある領域を超えてしまえば
後は 理屈や因果律が一切通用しない ただひたすら 実在の表現形態 だけがものをいう世界だけになるのである この言い回しとてそれは正確ではないだろう

おわかりだろう 釈迦はなんと 当時インドの 最悪の悪鬼 であるかもしれない 超殺人鬼の アングリーマーラー さえ全く他と変わらず相手したのである

そんな場面で 「 ネガティブな人は、相手しちゃダメ 」などと一瞬でも思っているとしたら 即座に釈迦は殺されているだろう(^^)

スピリチャルを目指す者がそんなこといっているとは、いい加減自分達が チャンチャラおっかしな事を いっていることを自覚すべきだといえる

逆に スピリチャルカウンセラー とかではなく ごく一般人は、今の日本というのはここまで馬鹿に成り下がった事を自覚すべきだろう いうなればもうここまで腐ってしまったというほうが正解かもしれない このような無智な輩が大手を振って組織のトップに立つ時代になってしまったということである

これが私が、もう5年ほど前からいっている 哲学力の不足が招く事態といえるだろう

もうおわかりだろう この ポジティブ ネガティブ 理論 でもって人を簡単に切り捨てる所業とは! ほんとのところは反仏教であり

スピリチャル において これだけはやってはいけないものだ! といっても決して過言ではないとなるのだ

その 慈しみ の心意気で、ネガティブになっている者、また多少厄介な者をみたとき それは救うべき対象なのであり 何を無視すべきだというのか? おそらくそんなことをしても そのつけというのは必ずその人の晩年にダイレクトに返っていくことだろう
そんなことは、もう50歳もすぎた人はほんとはわかっているはずだ、悟ったら黙りこくり
見ざる言わざる聞かざる
を決め込むその態度が、次の馬鹿を量産することをいい加減我々は悟らなければならない

このような 間違った認識 をしている者に私はいいたい 貴方がもし二十歳を超えているなら 何のために今までテレビドラマをみたり、小説を読んできたのか? とね まず完全なる国語力の不足が感じられる

欧米の洗脳術とは怖いものがあるというのは、自己啓発に名を借りてこうやって日本人に部分主義を植え付けていくというのがわかるだろう

また 仏教を含め全ての 悟りのプロセス また悟りや解脱 というものの それが成される 0.0000001秒前の1刹那までの瞬間

ネガティブな心境というものへの理解がなく 、それがもたらされるとでも 貴方はおもっているだろうか?

もしネガティブな心境や状態なく 悟りや解脱なるものを求めることができると思うなら その 悟りや解脱 というものは、それこそただ単なる妄想というしかない

そりゃ人間であるからには、できる限り全てポジティブであったに越したことはないが、ネガティブがあるからこそ ポジティブ の意味もまた!

貴方は認識することができるのである 細部に至りだ

チャクラ

チャクラ理論

脱チャクラ

への誘い を私は呼び掛ける。チャクラ で チャラチャラ 論争するのは終わりにしよう
瞑想宇宙

もちろん、それは 日頃 スピリチャル などに熱をあげている人へのメッセージだ
瞑想世界は大きく2つにわかれる
宇宙意識 波動

① 思索系 を主体として 宇宙意識 悟り 解脱 を目指す 禅, ラージャヨーガ, ジュニャーニヨーガ

② タントラヨーガ, 生体エネルギー調整系瞑想, 気功 チャクラ開発を目的とした瞑想

これらのうち ②にあたる 瞑想 または ①であっても 集中のポイントとして チャクラ を想定し それに向けて意識を集中する人は多い
私も過去25年間 瞑想を続けてきた その過程にあって、この 霊的中枢センター には根強い拘りをもっていた

しかし 今 究極の実在 を目指す 瞑想において これは邪魔であり、また 魔境の一種 だと断言するのである
以前ひたすら 宇宙意識 を目指し バリバリ チャクラ 開発に熱をあげていた時とは本質的には全く逆の姿勢を今は とっている

そもそも 日本において、いつからこのチャクラが取り上げられるようになったのか? まずはそこから論ずれば


神通力

これだ! 私が小学時代?中学時代だっただろうか? 今からもう40年程前の 何かのテレビ番組で、インドのヨガ行者を大々的に取り上げ、そして彼らは、チャクラ に意識を集中することで 神通力 さえ発揮するということをアピールしたところから始まっている

それまで巷の精神世界で、チャクラ なるものを聞くようなことは一切なかった

もちろん 日本の 座禅のメッカ である 永平寺 などの 禅の高僧 で チャクラ なるものを力説するものなど、少なくとも昔は一人もいなかった


魔境

精々 丹田 に 意識を集中 といった類をいう人はいただろうが、チャクラなるものは、魔境の一種 と言われて終わった


チャクラの覚醒

しかし 私はそのテレビでみたチャクラ理論 に感銘を受け、その後入った 日本で最も初期段階から チャクラ理論 を果敢に掲げる 某新興宗教団体で、必死に チャクラ 瞑想 を求めたが、結局のところその教団では

チャクラの開発は、基礎から段階を踏む慎重さが要求されるため基本的には、伝法会で直接にしか教わることはできない

としていたのだ、自分はそれが気にいらなく その団体を去るきっかけになった(もちろんこの団体はオウムではないのであしからず)

以後その団体では、気軽に チャクラ に関して何かを言うたびに論争がおこったものだ 全くおかしな話で おわっている


宗教からの目覚め

そもそも日本の 新興宗教団体 というのは何かをするため、何かを ブラックボックス にするという手法をとるのである 私はこのような態度が最も嫌いであり、このような態度はヨガや宗教如何に関わらず 人の見聞を狭め 馬鹿を増産するのである


宇宙の法則

いい加減目覚めろ! そのような団体は積極的に避難すべきである かたや我々日本人は政治に異常にうるさいのだ その心意気があるなら、ぬかりなく 宗教やスピリチュアル においてもそれをやるべしといっておこう それをやらない姿勢は将来貴方はそれだけ馬鹿になることをダイレクトに意味している。貴方から 真の万人に通用する 宇宙の法則 を隠そうとする輩に攻撃の手を緩めてはならない!

その後私は、カルチャースクールで堅実な ハタヨガ を習い、片方で 自己流の 瞑想 を実践する事を、日々の瞑想ヨーガ修行の日課としていた
クリスタル

ときに当時の自分は そうやって ヨーガ や 瞑想 をするからにはその目的には強い拘りがあり、そこはほんと素直に 絶対的に 超能力 を得られなければ、やる意味は全く無い! と強烈なわりきり目的でもっていたのである

神秘の解明

しかもその動機に自信をもっていた。なぜなら みんなそれが本音のくせに 人前では隠している! 故に自分は素直に告白するだけマシだということだった 今考えるとそれも正確ではなく 自分は本能的に神秘はいつか解明しないと気が済まない性分にある
そしてこれは今も変わらないのが、これら 宇宙の神秘性 の解明において、宗教は一切関係無しとする姿勢である。これが! 超重要だ
ほんとどれだけ多くの者が宗教によって馬鹿にされてきたことか!


瞑想家の義務

瞑想家たるや 宗教を参考にしてもいいがそれに染まったらおしまいである、なぜなら宗教とは 団体運営学 以外の何ものでもない!
よって私はいう 貴方も日本独自の伝統宗教は伝統で行い 神秘性追求の道に宗教を絶対かぶせるな!と
なぜなら 瞑想の世界でそれをやると その時点から視界は狭まりおそらく目標は達成できないだろう
神秘性追求 はどこまでも 神秘性追求 であり、貴方も学者であり瞑想家としてこの道においては、宗教を投げ捨てる ことを推奨する


宗教とは団体運営学

勘違いしたらダメなのは、無信仰、唯物論者になれといっているのではなく『 団体運営学 』と『 神秘性追求学 』をこれでもか!これでもか!とシビアに見極めろということだ。これこそが日本人を あるいは人類を 全体的にそれこそレベルUPできるかどうかの究極の境目になる

認知症の素

貴方もこの世で性を受けた独立した魂であり独立個人なのだ、それを忘れて団体のくさい嘘に誤魔化されてはいけない 団体の実に巧妙なくせぇ~嘘に騙される輩に 瞑想 を語る資格は無い! これは最も重要でありこの観点だけでブログ一記事書けるくらいだ
このような実にくさい猿芝居を見抜けない ゆる~い おつむ が、日本人全般的に『 認知症 』を増やす元となるのである!

元に戻り そういった意味で、特に20代後半~40代までは強烈に修行に専念した。暇な時間があれば 体力Up のための ランニング それが終わってからの柔軟体操 それから ハタヨガ マントラ詠唱 そして 呼吸法 それからがいよいよ 瞑想 だ

しかし自分のそれは、健康など1mmたりとも興味はなく そんなものはクソくらえとしか思っていなかった、ただひたすら超能力獲得のみが純然たる目的のため 瞑想は、毎日短くて2時間 長くて5時間を修した


クンダリニー覚醒

禅のお坊さんをみつけると 貴方はクンダリニーヨーガはやったのか!と食ってかかり やってない場合は「なんでやらない?」と追求して
禅のお坊さんを困らせたものだ 後にクンダリニーヨーガは解説するが、その当時自分は瞑想や座禅、ヨーガをやっているくせに クンダリニーヨーガ をやらない奴は卑怯者だとおもっていた そして必死に クンダリニー覚醒 も目指していた

気が付くと休みの日は 自然の中で2時間のランニング、海でマントラ詠唱1時間 ハタヨガ1時間 後 呼吸法と 瞑想 に残り時間全て使うという日もあった つまりその日は一日中 自己流のヨーガトレーニングをしていたのである

なんといっても その当時は 悟り や 解脱 などどうでもよかった そんなものより 超能力 が目的であり他は一切興味なかったのだ

そんなわけで いつも 瞑想日記 をつけたり 本などから抽出した チャクラの図 を自分なりにまとめ 瞑想はそういった意図にそって行った

だいたいにおいて 呼吸の段階から チャクラにあたるポイントに意識を集中して その点にエネルギーを出し入れするようなイメージで集中を図り だいたいにおいて 瞑想が深まれば その イメージ が忽然と鮮明さが増し 尚一層気合が入った


イメージング瞑想

自分はそもそも 今は亡き 山田孝雄 氏のごくごく標準的な瞑想関連本から入ったし、その某新興宗教団体も さかんに イメージ の重要性を説いていたこともあり 独流の修行において 重視したのは 山田孝雄 ヨーガ根本経典 七田式速読本 魂の科学 本山博氏 その他 仙道術(気功系) これらの本を読みあさり 独特の瞑想体系を自分で組み上げやっていったのだ

まずは 自分で作った 1点イメージ集中カード で呼吸法を使いながら集中力を高め 長時間 単純図形のイメージを固定化する行から行った


凝念 静慮 三昧

今思うとこれが最も地味な作業だった、やがて修行は2系統にわけて、1つは 凝念 静慮 三昧 そしてもう1系統は タントラ系の体の一部に集中していくという方法論だ

そして 当然の結果としてわかるのは、チャクラ というものは、この場合 このタントラ系のやり方の時に必要になってくるわけだ

①の思索系 1つの対象に 凝念 静慮 三昧 を施していく瞑想においては アジナー チャクラ とか アナハタ チャクラ とかいったって意味を成さないわけで それらはどうしたって②になるのである

そして②の瞑想をやる場合は ただひたすら体の一部に意識を集中しまた 呼吸もそれに集中して 意念 を整えるわけだ

いってしまえば 瞑想のやり方として ②の方がはるかに楽である チャクラ による瞑想は 毎日やればやるほど鮮明さは増して やがて 瞑想 が深まれば チャクラ は簡単にイメージとして出現するようになる
そうなれば、後は呼吸に合わせ回転させたり停止させたり いろいろ実験が可能になってくるのだが・・・
一筋縄ではいかないのがこれだ
チャクラを開くために知っておくべき大事な話
神社チャンネルさん

この動画でいうように 瞑想の深度により階層があるのだ 例えばその時の瞑想状態の 瞑想空間 = アカーシャ がどの状態にあるのか?
によって、例えば 同じ 丹田のチャクラ マニプューラチャクラでも その実体性が変化してくる
つまり同じ 例えば マニプューラ チャクラ でも 世にいう プラーナ体 エーテル体 アストラル体 コーザル体 でその存在性が違ってくるのであり、それは瞑想が深まれば深まるほど実感してくる

チャクラの相対性

従って ある種非常に相対的であり どうしてもややこしくなるのだ また効能においてもまちまちだ
確かに経典にいわれているような特徴はあるのだが 即座にそれを垣間見るわけではない 例えば マニプューラチャクラ をフル回転させれば そりゃお腹が温かくなるという実感はある しかしそれがどうやって人間関係に役に立ったといえるのか? の判断は後にならなければわからないし 追求すればするほど このあたりいい加減だな~っと当時から感じていた
ただそういった中で 長時間にわたる瞑想において 絶えずどっかには意識をつなぎとめておかなければいけないわけで 私の場合 それでよくチャクラを利用した
しかし これは長年の経験からハッキリわかるが チャクラは単体ではほとんどその効力や意味あいが発揮できない
ではどうやって発揮させるのか?というと チャクラは通してこそ なんぼ ? だといえる


チャクラは繋げてこそ効果が増す

通すというのは 例えば スヴァジスターナチャクラ と アジュナーチャクラ を通すということをやるのである
もちろんそれは、呼吸法によるイメージでやるのである 特に活性化に意味がある

アジュナーチャクラなどは 第三の眼 サードアイ そのものではないが非常に密接に絡んでいる まぁハッキリいってムーラダーラ もしくは、スヴァジスターナチャクラのエネルギーを アジナーチャクラ に通すことなく開発はほとんど無理だと 私は経験から学んでいる


喉のチャクラを侮るな

私は 過去 その他 仙骨のチャクラ = ムーラダーラチャクラ アナハタチャクラ 頭頂の サハスラーラチャクラ これらの認識は最初から最も簡単であり 最初から簡単にイメージ化が可能で 今まで経典にかかれているような認識に即座に至った
最も難しいのは ヴィシュダチャクラ である 今でもこの箇所だけは少し苦労する
最も 今もっとも活発でさかんなチャクラは自分の場合 手のチャクラである
そんなものは無い という人もいるかとおもうが 決してそんなことはなく手のチャクラはあるのである


究極の実在認識 哲学のチャクラ

実はそれこそが この ヴィシュダチャクラ 喉の チャクラ の覚醒を意味しているのであり もちろんそれだけでなく幻聴や究極的対立の意味 また 時空の認識 いろんなものに繋がっているのだが おそらくほとんどの人はここでつまづくことが予想される
そして チャクラ開発は ほとんどの場合、胸部のアナハタでとまり ずっとアナハタチャクラで認識エネルギーは停滞するのである
しかもこのチャクラは鍛える術が少ないときている
あるいは人により喉のチャクラを飛び越えて 先にアジナーが開けてしまう場合もあるだろう そうなると事は余計ややこしくなる


アナハタチャクラを突破せよ

いずれにしても一般的にスピ系において最も多いのが、このアナハタ停滞型だというのは 喉のチャクラが開けてくるとわかることだ


新興宗教は人の見聞を狭くする可能性が高い

こういうことは自分は実は上にあげた その某団体に居た頃から自己流の修行によりわかっていた。しかしこの団体は二言目にはチャクラ開発は順をおって 尾てい骨のムーラダーラからしっかりとやらないといけない=そうしないと開発できたとはいえない として一切信者の意見を聞かないのである。
 それは昔から今も全くもっておかしな話であり そんなことをいっていたら永遠にチャクラを使うことはできないだろう
そもそもチャクラなどというものは、自分が作り出しているものだからだ。
事実 この団体のアホな信者は、この段階でフン詰まりになってしまい 非常に狭い見分の人間と化していくのである この某団体は他の世界的なスピリチャリストや瞑想家など一切認めないというか、それらの良い部分を個別に自分に取り入れるという智恵をもたなく
批判すらするから笑ってしまう事態といえる
それが証拠にこの団体では喧嘩が多いから一目瞭然にそれがわかる。そしてそれ以後この団体出身者にチャクラがわかっている うまく説明できる者を一度たりともみたことがない。
 この団体は初期の頃それだけが自慢であるかのように必死にチャクラチャクラと騒いでいたくせに、今ではそれはどこふく風で そもそも自信がないのであろう、この団体の信者は、それを口にすることすらないのである 
私が二言目にいいたいのは、新興宗教というのは全てではないが、人を腐らせる また見聞を狭くするものだという点だ

最近わかってきたことは、どうやらこれは 自力本願 他力本願 にも結び付いてしまうようだ


チャクラは量子論的

話はチャクラの指摘に戻るが、もうお気づきだとおもうが 上のような指摘は、ヨガのマスター また 瞑想 の先生、経典によってもかなりのバラつきがある

また 上のような解釈は何によってそう評価されるのか? といえば それは瞑想中の認識より 後の日常における変化でその変化やチャクラの特性が確かめれるわけであ 従って立証にある程度時間を要するといえる

そのチャクラが開けた? 活性化した 覚醒した という証はどうしたって曖昧さと相対性がつきまとう

今わかるのは、それが故に 昔自分が所属していたその団体の長もこの領域においては、伝法会で内密に行うというスタイルをとっていた
当時はわからなかったが、それは何も事がそれだけ重大で秘密特殊性があるというよりも むしろそれらの 認識論 にそもそもバラつきと相対性が非常に多いことだというのが理由だと、最近はそう思うようになっていた

また私の独流の修行や クンダリニーヨーガ の 脳天ぶちぬきが、どのような効果をあげたのか? それは一重に 次回でも説明する

シンクロニシティ

これの超連チャンが結果として引き起こされるに至るのだ この問答無用の意識状態になるというのが私の最も訴えたい箇所であり
これこそが最もお宝だったと今痛感している 自分は後にせっかく修行でえたそれをものの見事に破棄するようなことをしていまい、今はその能力が完全に低下してしまったのだが それについてはいずれ後述する

そして 私の瞑想歴はやがて 直観力鍛錬が主流になり そして50歳ちかくでニサルガダッタマハラジを知ることとなり

超能力チャクラ中心修行 ⇒ 直感鍛錬,シンクロニシティ 研磨のための瞑想 ⇒ 究極の実在認識の瞑想

というように発展していくのであるが、この 究極の実在 認識 という現在の過程において 今ハッキリわかってきたことがある
究極の実在については いずれ詳しく述べていくが、次の動画類が最も端的に言い現わしているので参考にされるといいだろう

虚空の独り言5 あなたを溶かし去りなさい
Art The Oasis of Zero さん
この人の 虚空の独り言 シリーズ は全て良い 究極の実在のみを追求した姿勢がある

そして私は、ここに今 おそらく日本において 初の ヨーガ理論を発表しよう
わかる人はわかるはずだ
名付けて 『 チャクラ法則性 エントロピーの法則 』
(※ 瞑想が深まれば深まるほどチャクラの法則性は混沌となりやがてその実態は消える )

まず 結論からいえば チャクラに実態はない
ここからがさらに重要で、その中核が なぜに実態がないか?といえば そもそもこの世は幻想にすぎない という解脱者の見解と同じく
それと同レベルに チャクラに実態はない のである どうかな? おわかりだろうか?
さらに重要なのは、ここで頭をさらに柔軟にして 量子論を考えながら 次のことを考察してみよう
量子力学がニュートン力学と違うポイントというのは、量子という超微細な世界の認識論であり つまりそれだけ 神秘性が増す領域となるわけだ、物理学では神秘という言葉はつかわないが なら 精神現象学 という表現でいえば

チャクラ 理論が通用する範囲というのは、より精密に チャクラ を定義づけしようとすればするほど どんどんその神秘性は増していく

神秘性が増す ⇒ それだけ実態がなくなっていく

実態が無い ⇒ 各チャクラの特性 法則はなくなっていく
どうかな? おわかりだろうか?

ここでさらに集中して認識を深めてみよう つまりそうなってあたりまえなのだ

それは、そもそも 瞑想 という名の手法の動機 に事を発している そもそも 瞑想 なる行為は この世のゴチャゴチャした 不条理からの解放を求め行うものであり いうなれば 変な言い方をすれば、この世の複雑多岐な理屈と混沌 こういったものからの離脱にその動機がある
ところがそこで求めていった結果 辿りつくものが 数学的複雑性をもっているのでは そもそもがおかしな話であり意味を成していない

またそうなるはずがないのである。なぜならそれは 個人にとっての他人が介在する外部世界と違い 自分の心(精神)の本体に入っていくのにそれが本質的にわからないなどということは決しておきないはずだ

なのに チャクラ は階層構造をしていて 複雑多岐であり捉えるのは難解だ ということがすでに迷妄に入り込んでいるのである
つまり そのように 瞑想現象 が進行してしまった 貴方という存在時空が造り上げてしまったのである

考えてみれば それは全くそのとおりでチャクラとはそもそも その体の部位を集中に便利になるように区分けの象徴をしているにすぎない

そして その区分け上でてくる 腹 胸 喉 眉間 といった集中ポイントをそこの肉体的特性の象徴と見立て よりイマジネーション化がしやすく さらに意味をもって促進されるようにする 一種の暗示法なのである

したがって、瞑想もより発展すれば 自分の肉体より 3m ほど離れた場所に、意念の力で アナハタチャクラ を想起することだって可能である
それができないのはおそらくそれだけまだ瞑想に熟達していなからだといえる
まぁわざわざイメージ化が困難な場所にそんなことをする必要もないが・・・

つまり 今自分が集中しようとしている実態が 魂なのか? マインドなのか? 智慧なのか? 肉体なのか? そういった使い分けの初歩の段階で チャクラ とはその集中を助ける ただ単なる表象にすぎないのであり 瞑想も3時間以上にわたる場合 チャクラなど一切消え失せることからもそれは容易にわかることだ

(※ただクンダリニーヨーガにおける脳天ぶちぬき前のチャクラ開花にみえる現象の説明は次回するものとする)

なぜなら 2~3時間以上の瞑想の場合は 今!自分の心像に沸いた挙動は、音なのか?光なのか? そういった瞬間さえ訪れるわけで、その領域において チャクラがどうしたこうした?というのは滑稽でしかない

従って2~3時間にわたる瞑想の場合は、チャクラは完全に無用であり邪魔でさえある そもそもそんなものは実在と何の関係もないのである

ただそれでも迷うだろう チャクラ マニアのためにあえておさらいをするなら


チャクラ 不確定性原理

唯物性 ⇒ 非物質性( 神秘性 ) において 神秘性が高まれば高まるほど チャクラ だけでなく全ての 法則は意味を消失していく領域になる

これは あたりまえで超簡単にいって 神秘性 とは何ぞや? ということであり そもそも 神秘性 とは合理的法則が効かないからこそ 神秘 という

おわかりだろうか? 考えてみればあたりまえで、それの意味するのは、最初からそうであるもの(究極の実在)にどんどん近づいている証拠である

チャクラがバリバリ覇権を効かしているのは 瞑想が深まっていない証拠だということがわかるだろうか?

そもそも肉体さえ全く意味を成さない領域に近づいているのに、ただでさえ最初から神秘性 が高い チャクラ などという表象が意味を成立させているプロセスなどほんのわずかな間だったとわかるだろう つまりは2極性が意味を成していた頃の偶像ということだ

なんといっても最初からそんなものは、量子論的意味が濃く神秘性が高いのだから・・・

よって皮肉なことに チャクラ に拘っている間は なんとその チャクラ さえ確定することなくおわるのだ つまりチャクラは確定できずおわってこそ! 瞑想が成功しているといえるのである。おわかりだろうか?

この意味がしっかりと認識できた人は もう チャクラ に拘る世界からはおさらばして 即座に 究極の実在 を求める瞑想に目標を定めるべきだろう

究極の実在を求める瞑想とは何か? それは最も簡単でかつダイレクトな
「 私とは何か? 」この1点のみを追求していく瞑想である

そう! つまり 貴方もそろそろ チャクラ で チャラ チャラ と論争する段階は終焉したということである

チャクラで チャラチャラ とお飯事ごっこをする時期は過ぎ去ったという証である そろそろ次のステップを目指そう

この意味がわからない人は、遠慮することなく 自分にコメントでもメールでもしてください 瞑想にやる気がある人にはどこまでも答えます

しかしこのブログをちゃんと読んだのにも関わらず チャクラは順次開発しないといけないだとか 活性化 と 覚醒 は違うだとかそういったくだらない 浅い修行者がいうような言葉上の解釈論 をいう輩は、相手にすらしないのでよろしく

 なぜならそれはその時点で瞑想を2時間以上にわたってやっていない証明になってしまうからだ さらにいうなら 瞑想 すらしたことがないことの証明となる なぜならチャクラとは最初こっちからその基点、基盤をイメージ化していくことが基本だからである。

 尚現代文解釈力 つまり 国語力 の足りないものに答える暇はないのであしからず しかし貴方がちゃんとこの文全てを真剣に読んで 瞑想世界 に前向きであるなら いくらでも質問、意見ください。その態度がみえる限りどこまでも質問や意見にはお答えします
https://twitter.com/hermitregion

shiverem2017@gmail.com

イラスト素材
しょこらんさんによるイラストACからのイラスト

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明晰夢 3 実在の欠片 古代の空飛ぶ男

実在夢  自分はそう呼んでいる夢がある この台地はどこだ?

何かを必死にもがいている

その時 ふっと気づいた 自分はずっとここにいた この台地から必死に空に飛ぼうと
飛びたつのだが 雲に届くか届かないか? のところかまでくると ヒューっと落ちてしまう
そして また広大な平原の中に 1つ ポツリとあるその台地を眺めた

次の瞬間 全てを思い出した

飛翔

自分は、夢の中で毎日ここに来ていると・・・・・ そして その広大な平原を眺めほんのさっきまでの自分が幻影であると悟っているのだ

しかも 1度や2度じゃなく 毎日毎日 夢の中で ここにきていたことを思い出す


そして 何かの使命なのか何なのか 再びその台地から飛び立とうと ジャンプして 空に舞い上がる

しかし 数秒後 またもや脆くも 地面に落ちてしまう

そのうち目が覚める いつものお決まりのパターンだ


明晰夢 2

古代東南アジア の 女性シャーマン

前回に引き続き 過去にみた 明晰夢 の範囲に入るかどうか? は別として
今回は、明瞭な夢 の一つをあげるとする

明晰夢 の範囲に入るか?入らないか? とあえて宣言しているのは これは完全には夢の中で これは夢だ! と気づききって はいない夢なのだが・・・・・

だからといって 自分でこれは、今までみた夢のどの範囲にも入らない 夢 であることは間違いないと思うからだ  それは 自分が過去の

アンコールワット 近辺のどこかの民族

の 女シャーマン として バリバリ指揮采配を振るっている という 普通なら誰でもこれはまさしく

自分の 過去世?

だと思うだろう内容だ
なんといっても 明晰夢も含め ほとんど98%の夢は、どんな形態であれ 今まさにこのブログを書いている自分が主体として体験しているわけだ その主体は今の自分なのだ
そんな中 ごくまれに私の場合 違うやつがある その一つが この

東南アジアの女シャーマンの夢だ

それは 自分でありながら 気質や体質 その他 肉体までもが半分は今の自分ではないのだ明らかに 心の中の心質感 また肉体感覚
気分 情緒 そういったものが完全に 女性であり でもそれが自分なのだ
その夢は最初から全て覚えているわけではないため どのようにはじまるか? は説明できないが その夢をみているときは それが例えば

現在のカンボジアのクメール王朝

の・・・・・という村だというようにハッキリしていた
覚えていないのは 目覚めてしばらく経過したからであり、その状態のとき それは鮮明だったのだ
そして自分は、これもそのとき夢の中ではハッキリ自覚していたのだが 部族長の女性シャーマンとして 何かの義務で

その村の土木的改修工事の陣頭指揮をとっていたのだ

ところが いくら説明しても 村人達が指揮命令の呑み込みがおそく思うように動かずイライラして
「 この木材は~に運んで、・・・・・に穴を掘れ 」
といった 指示を半ば怒りながら命令していた、不思議なことにそういっている最中も自分の肉体が完全に女性のそれであることは 自覚している

それでも なかなか言うことを聞かない村人達の原因は恐怖心にあるとみた自分は、たまりかねて
よしお手本をみせてやる! と怒りながら もうどうにでもなれといわんばかりに

穴に飛び込んだのだ

「いいか よくみていろ!」
といって 表面には草木が敷き詰めてある穴に 思い切り飛び込んだのだ、半分はなげやり的心境だった

その時点で 目が覚めたのである

おわかりだろうが、多分それはその生涯の最後を意味したのかもしれない
敵の部族か何かが仕掛けた罠に イライラきた部族長の 女性シャーマン である自分は 自ら飛び込んでしまったのだ

そして 死んで その生涯は幕を閉じた

そのリアリティの高い夢が、いったい自分に何を言い現わしたかったのか?
それは今もってわからない

ただ この夢のそれら一連の流れの中で もっとも明瞭に覚えているのが、いつもの自分からその 過去世らしき世界 の 女性の自分に変身するときの 質感 というのだろうか? 詳しくいえば

『 内的肉感, 内的心感, 内的気分, 内的情緒 』 ・・・・・内的4つの感覚

こういった感覚がどのように変化していたか? という内的実感だ
おそらくこの夢というのは、ストーリーそのものより 今の自分にとって最も印象に残っているこれら 内的4つの感覚

これらの実感がいかようなものなのか? を知ることに意味があるのではないか?
そう思う次第だ
それがわかったとて 今のところ多分、女性 というものの 内的感覚とは、あのようなものなのだろう ということであり

何か日常において その知識が役にたつものではない

もちろん その夢をみている まさにその時は、ちゃんとした社会を自覚していて
また 具体的内容も自覚している つまり明瞭に現実であったわけだ

その時には、土の匂いからその場に漂う雰囲気 また生理的な細々した体感 まで全てがあり ありありと 実体験 として進行しているのである

そのストーリーから もっと細部に至る感覚的なことまで 今話すことができないのは あくまで目覚めてから時が経ち忘れてしまったからで

その時それはありありとした体験なのである

従って なぜに 自分が女シャーマンとして そのおそらくクメール王朝のその村で どいうストーリーの元 それら業務をおこなっていたか?

その時はハッキリしているのであり ちゃんとした意味があったということだけは確実にいえるのだ
そして今 なぜに数年前、そのような 前世みたいな記憶 を思い起こす夢 をみたのか?

あの記憶が意味していたものは何なのか?

それは今のところ 自分には皆目見当がつかない 瞑想中それを思い出そうとしてもうまくいかない
それはかなりの 次元的レベルのインナーボディーの変容が伴うからだ
感触としては、細胞質 までもが変容していく感覚がある もちろん 脳 のそれも含め

もしかするとそれは、自分の前世ではなくて ただ 究極の実在 が 何かのために自分にみせた 過去アンコールワット周辺部の村で起こった

現代人が誰も知らない出来事なのかもしれない

でも今の自分にとって、それが意味するものは 皆目検討がつかず わからないのに そのような現象が起きて 自分にとって忘れられない特徴を示していた出来事だというところからみて

将来 この出来事の記憶が、自分にとって納得がいく瞬間 が、将来訪れる可能性は充分あると思う次第だ
いつか この謎がとけるのだろう

次回は さらに深淵極まりない、もうひとつの 特殊な夢 を紹介しようとおもう









明晰夢


明晰夢

 ・・・ これほど自分の人生観に影響を与えた現象はないといえる

私は 中学のある時期から高校にかけて おそらく週1~週4ぐらいのペースで明晰夢をみていた その後も30歳にいたるまでたまに体験したが、最も 濃密な明晰夢 は断トツに高校時代だった。
高校時代は私の人生で最も悲惨だったため、ある種私の 意識の奥 の実在がそれを中和させるため 実在の欠片 を私に垣間見せたといえると思われる
私は 旅行なるものにはほとんど興味がない もちろん海外旅行の経験はあるがどんな壮大な景色をみても明晰夢に比べたらその比ではないと軽くわかるからだ
といえば 貴方は「でも・・・所詮夢でしょ」というだろう

それは確かにこの世においてはそうだ だけどその『 内的質感 』たるや半端でなくて リアル世界での5感は全てある それどころか例えばその思春期の野郎が真っ先に妄想する

それは逆に明晰夢の方がはるかに上なのだ

まず 私がおそらく最初に 明晰夢 に気づいたのは あるとき 地元の街の祭りをふらつ
いている夢をみていた 風景は最近みる夢とは違い鮮明で リアル とほとんどかわらない
祭りの屋台や通りすがる人の中を自分が歩いているその時 もしここで何もおこらなかったならその夢は例え後で夢を覚えていてもやがて忘れていたかもしれない しかしそれは起こった その祭りで賑わう街の通りを歩いていると ここが重要で
何の前触れもなく

ただただ ふっ と『 これは夢の中だな 』と気づいたのだ


わかるだろうか? そこになぜ気づくことができたのか? という 原因やきっかけ は一切無い 原因なるものは無い のだ

歩いているとき次の瞬間に・・・あっ これは夢? すかさず手の平をみてつねってみた しかしつねると感触はあるが痛くは無い しかしそれで夢だとわかったわけではなく そんな行動をとっている最中にも 問答無用 で 夢だというのは認識できてしまった
認識できたら 夢なら好きなだけ何でもできるはずだ!と

即座に空を飛びはじめた

最初はなかなかうまく飛べなかったが やがて楽勝でスーパーマンみたいに空に舞い上がり街を離れ森やら林やらの上を飛びまくり 当然すぐに

そうだ! 宇宙で遊ばないと損だ!

ということで 宇宙を飛び回った もちろん星々や星雲なるものもちゃんとみれるのだ そして 気が向いたところである星に不時着して そこの住人らしき奇妙な生命体と話したりもした あまりに分析を働かすと夢から覚めるため やがて分析する癖を少なくして それより宇宙空間を楽しんで 飛び回るうちに 今度は様々な次元を経験した
 もうそれはなんともいえない不可思議な世界や 次元と次元の境界みたいな箇所
たくさんの世界が存在していて 気が付くと 今でいうところのパラレルワールドみたいな この世の現実とわずだけ違うみたいな世界に入りこみ 自分の家の近所の範囲にあるはずのないビルがあり その5階あたりに 服飾店の作業場がありそこをフワフワ浮いている自分に気づき そのビルは何だろうと探索したり めくるめく世界が変わることを経験した もちろん 化け物もたいなものがいる世界もあったりしたし 人と話すこともあったが

不思議なことに恐怖を感じることは一切なかった

とにかく色がすばらしく オーロラみたいなものは何回もみたし 森や林、海なども実際質感をともなっていていくらでもでてきた 最初はただその都度その都度最初からある環境を楽しんだが、やがては そういった景色すら自分がいくらでも創造できることに気づいた  その後は

自分のイマジネーションによりどんなものでも創造して楽しんだ

宇宙船から その当時の理想像の女 何でも創造することができて 創造した生命体はちゃんとコミュニケーションしてくるから不思議だった 今ならそれら創造した人間や化け物が何を話しかけてくるか分析するのだが その当時は 何かしゃべりかけてきても気にとめず 夢の世界はなんでも許されると思い 全て好き勝手に遊んだものだ 途中でくわす今なら霊的な存在かもしれないようなものも適当に接して気にいらなければイメージで適当に吹き飛ばして遊びまくったのだ それが今では くやまれる

 今なら間違いなくもっと厳密に観察するのだが 当時は所詮夢だからということで遊ぶことしか気にとめなかった
厳密にいうなら 明晰夢は

明晰夢 ⇒ 夢 ⇒ 明晰夢 ⇒ 少し目覚める ⇒ そのまま明晰夢 ⇒ 夢

という具合でその日その日まちまちで 場合により現実より濃密に鮮明であるかと思えば ほとんど希薄な明晰夢もあったり またその夢と明晰夢の間の領域で何か得たいの知れないものになっていたり 完全に何も無い状態を意識していたり また

夢の中で夢をみてさらにその中でまた夢をみて順次目覚めていく

ということすらあった あの当時経験したことを今も経験できたらどれだけ多くの発見があるだろうか? と思えるほど毎日いろんな明晰夢を経験した そういった中で覚えているのは

現実とのつながり

だ あるとき わずかに明晰夢になっている状態(かすかにこれは夢だろうという意識が働いている)で

 氷の祭典みたいな会場で 思い切りその氷を割った それは所詮夢だからということだが そして氷はバリンと割れた 驚いて目が覚めた その1秒後 お婆さんがトイレにいくため縁側を通る時 その縁側のガラス戸につまずきガラスが割れて それで家族を起こしにいったことがあった もうわかると思うが 氷の祭典みたいな会場の夢で その氷を割る ⇒ バリンと割れる ⇒ その1、2秒後 おばあさんが戸のガラス枠を割る という摩訶不思議な現象が起きたのだ そんなことがほんとの偶然で起きえるはずがないと ガキながら思ったものだった
それ以外にも現実のリアルとつながる明晰夢はあったのだが今明瞭に覚えているひとつはこれだ

厳密には 最初からある自然や物体と自分がイマジネーションでつくりあげる物体や環境がその都度その都度楽しんだということだ

なんといっても 飽きることがないわけだ なぜかといえばいつも鮮明で感動と驚きがあるからだ そしていくらも好きなように操れるというのがこれまた面白かった

 例えば 今この記事を読んでいる貴方は おそらくパソコンの前かスマフォをみているのだろうけど 貴方のまわりのPCや机 床 あるいは自然 当然それらはリアル世界のもので鮮明だろう 現実感があるわけだ もう一度おさらいのためにいうが それと同レベル 場合によりそれより鮮明という意味がわかるだろうか? もしその明晰夢をみているとき 分析する気持ちを控えれば控えるほど より鮮明さは増すのであり完全な実態であり

五感どころか第6感も含め現実よりリアリティがある

のである それは驚きと驚嘆以外の何ものでもない
 例えば自分はよく経験するが、シンクロニシティの連続 が続くということは内的なイメージや思いと外界の現実の一致を現わしている

 それはつまるところ内面世界と外界のこのリアル世界が同じものになってきているという証だといえるのではないか?

つまり時間の周波数というものが違うだけで もはやその状態とは明晰夢と同じで内的世界とリアル世界が溶け合い 一致していっている証がシンクロニシティとして現れているのだ それは私の経験がどうこうでなくて 実際問題ほとんど全ての聖者なるマスターはいっている この現実の世界も全く『夢』と同じようなものでただ 時間の進行だけが違うと

そして なぜに明晰夢は 何の原因もなく『これは夢だ』と気づくのか?

その気付きに原因は一切ない あるのかもしれないがそれは常識論でいうところの原因は全くなくただ単なる気づきの一種でしかない

 つまりは 明晰夢もリアル世界の気づきも またリアル世界のシンクロニシティも全て気づきであり そこに常識論でいうところの原因なるものは一切ないのだ

全ては 気づきを送り出す 奥に存在しているであろうブラックBoxからでてくるのであり その仕組みは全てブラックBoxに起因する そう! 絶対実在 究極の実在がおこなっているのである 人間は毎旬毎旬『気付き』の中でいきている その広義の気づきとは別に、明晰夢や閃きをいわなくても 毎日の日常というのは この気づきがあってはじめてなされる状態であり もし人から気づきをとりあげたなら 貴方という存在時空はその瞬間に全て奇麗に消えてしまうだろう そこにはもはや夢さえ存在しないだろう 気づきの連鎖が日常を構成しているのであり 最もベースに存在しているのだ ここでいう最も根底に流れるベース これが最も重要なのである 最も根底! なぜにこれを力説するか?

全ての疑問はこれでとけるからだ 例えば幽霊は存在するのか? 輪廻転生はあるのか? 宇宙の構造は? 神秘的な世界を認めたら認めたなりに即座に次ぎの疑問が次から次へと沸き起こるだろう

これらの詳細な説明をしていたら いくらページがあっても足りないわけで 結論からいってしまえば 私が悟ったことは 輪廻転生すら! 貴方がそれを認めた瞬間に即座にそれは確実に存在してしまうのである その膨大な仕組みは 貴方がそれを認めた瞬間に即座に確実に存在し驚くようなストーリーを展開するのである そう それは常識論の範疇で、ありありと存在して影響するのである 究極の実在の想像を絶するパワーとはここにあるということがおわかりだろうか?
 なんでそんなことが可能か? というのは実は簡単でホログラフィック宇宙論を真剣に認識すればおのずとその解答がえられるのである ヒントは我々の体すら構成している1原始の中に全体である宇宙全ての情報があるからだ(エハンデラヴィの動画参照)

ちなみに参考までにいうが 自分はエハンデラヴィ氏とはメールを一度もらった程度のつながりだ だが自分は彼を最高に尊敬している
そしてこれは勘所だが エハン・デラヴィ はたぶん 自分の明晰夢体験 と同クラスか それよりさらに強烈な明晰夢をみたことがあるだろうと思われる

冒険心 世界No1の男 それは エハン・デラヴィ だ!

 だから 眠る前のウトウト状態において、場合により自分とは全く関係のない他人の概念やストーリーを垣間見るといえるのだ 例えば 寝入る瞬間に一瞬思った感情やイメージの形が他人のそれとたまたま共鳴した場合 即座にそれらのイメージが自分にもみえたり体験したりしてしまうとなるわけだ もちろんそれは集合的無意識を通してなされることは言うまでもないとなる なんといっても我々の体を構成している1原始1原始の中にすら全宇宙と絶えずつながり情報を更新している全宇宙のホログラム像があるんだからそんなものは朝飯前という話である

 つまりも~我々は この系統の話をオカルトだとかスピリチュアルだとかいうレベルで終える時代はおわっているのである あまりにも馬鹿馬鹿しい低レベルなことに執着していては損も極まりないとなるのである

(つくりさしのブログで申し訳ないがみてください https://holism.amebaownd.com/ )


追って話していくけど つまり幹細胞研究の5本の指に入る高名な生物学者 ロバートランザ 博士 の バイオセントリズム理論 またホログラフィック宇宙論が意味することは もし人間だけをみるなら この宇宙には、究極的には、

たった一人の人間しかいないことを意味している

なんとそれは誰もが隠しておきたい内面の奥にいけばいくほど同一人物になることを意味している おわかりだろうか?

https://ameblo.jp/jcurrent/entry-12197721087.html

ひさびさに超長文をかいたから殴り書きごめん

夢の実態

夢をみているとは?


夢の風景

夢の現れとは?


問題はいつみているのか?





この記事は前回の 人生の葛藤ポイント の続きだ
前回は 例のとある SNS で自分が発言をするきっかけになった 投稿内容
若者の 恋愛や結婚 が減少する原因についての指摘で 投稿者は 最後には
フロイトの リビドー論 を持ち出して その最終要因を
性欲 という人の 三大欲求 でも3番目に位置する欲求ということで

「・・・・・性欲だけは生死に関わるものではないため 現在のような状況を招いているのではないか・・・・・」・・・・・解答①

としたのである
さて ここで問題は まずこの投稿者がどれほど真剣にこの私の質問にむきあっていたか? という部分も含め その点は完全自由であり 常識論の範疇で 投稿者を責めたり非難する種の問題では全くないということを理解した上での話だが

あえて この投稿者を 仮想的な人 Aさんとしておくなら
Aさんの解答が 少し的をはずしているのは誰もがおわかりだろう
なぜなら この解答①が真実なら 昔も今も 若者の 結婚 や 恋愛成就率 に性欲が与える影響は全くかわらないことを意味している 生死に関わるものではない とするのは昔も今も変わらないからだ

ここで私は 投稿者A と自分との間でなされた会話の流れをじっと観察した
Aさんにしてみれば 私はいわば 突然の飛び込みの来客であり 半ば適当に答えて普通である しかし今、仮にこれがある程度真面目にとりあった結果とした場合を仮定して
なぜにこのような 解答 をだしたのだろうと・・・

 前回の記事で少し触れたが 私の 問いかけ は ↓に示すようにとらえどころのない問いかけだ

『 公園で遊ぶ子供 も減った ⇒ 野蛮性 の減少
でもいくらこんなこと話したとて 現実は
人口はますます過密 ITは益々促進 ロボットがウロチョロする世界 はもうまじか・・
いくら若者に期待しても かつてのような人間らしさはまず戻らない
異性の前 赤恥をさらしてでも目的をとげてやるとするのは、野蛮性以外ないでしょ?
しかし 今の学校の先生達がどれほどこういった事をうまく教えていることやら・・・ 疑問だし さらにそういった学校の先生にクレームばかりつけて社会全体を神経質に仕立てて社会全体を 女性化 させているのは庶民なわけで・・・・
つまり恐ろしいのは我々全体の 無意識 がそれを求めていないものは絶対に 現実化 することはないと思います 』

っとしめくくったのだ 実は解答が単純にはいかないちょいと意地悪な意見なのだ
当然こんな意見を ひょいと言われた投稿者Aさんは 心理学者 や スピリチュアルカウンセラー でもない限り 解答に困ることは容易にみてとれる Aさんは答えただけ立派だ

つまり おそらくだが 意見の意図が読めず 戸惑いながら解答した結果が上に示すとおりで だした結論の結果が それをいうなら昔も変わりないじゃん という回答になるのである

その解答をみたとき 私は思った この解答を書いていたAさんは、おそらく「その瞬間」
そこに存在していないのだろうと・・・・・
それがゆえに そのような完全に因果律に矛盾をきたす解答をしたのだろうと
そして次の瞬間 その そこに存在していない という↑の私の指摘は
このAさんの思考が、どのようなものをみていたのか? という次の視点が開けたのである

そして気づいたのだ この前回からの投稿に対する意見の返信に見られるような
いわば「 ポカミス 」が、当然ながら社会にはそこら中に存在している
私は もちろん だから気を引き締めろ!ということがいいたいのではなく
これが意味する その瞬間におけるその人の意識とは どこにいるのだろう?

ここにきて閃いたのが 夢の世界 と同じだな~ っとする認識だ

おわかりだろうか?

それは存在しているのかしていないのか?わからないような夢の中の 思考プロセス
誰しも わかるとおり これはまさしく 我々が夢の世界でおこなっている姿勢といえるだろう
それは、その都度 夢の場面場面を理解認識してはいるが、思考が鮮明に働かず その都度その都度 自分がおかしな態度や判断をしていることは、誰もが実感しているだろう
なんといっても 毎晩みる夢は そのように展開していく そこに異論はないはずだ

しかし考えてみれば 人がポカミスをするときのそれもほとんど同じだといいたいのである
もちろん現実のリアル世界で ポカミス をした場合、人はすぐ自分の非を認め 思考が活発に働き訂正するだろう

しかしその ポカミス をしているまさにその瞬間 もし第3者の目ではなく その人の
意識の中心から その思考経緯を眺めると それはほとんど 夢の中 のそれと違っていないといえはしないだろうか?

そして 現在の脳科学最前線では、人が自分の思考に気づくのは 脳内にその兆候が発生して数秒たってからという見解がある

そういう意味では ある種 日常の全ての思考は、人の意識にとって自動で展開されているプロセスであり そういう意味で意識の鮮明さが薄れているときと 鮮明なとき の違いでしかなく それは毎晩みる夢の世界とて同じである
つまりこれらは あまりこの世界が 夢の世界 とさほど違わないことを意味しているとどうしてもそうなってしまうのだ

夢の世界 でも 意識が鮮明 なときは、自分の意志を確実に反映させているのだ そして意識が不鮮明 なときには 筋が整っていない出来事が爆進する

つまるところそれは この リアル世界 とて全く同じである 共通認識の場である物質的環境が理屈が整わないまま変化するということはまずないが、それをとらえる我々の意識の進行係である思考やマインドにはこれが起こりえることを意味している

いゃ 共通認識の場 である 物質的環境 も確かに誰もが驚くほどの 非科学的変化は簡単にあるものではないが、それが絶対起こっていないとは何をもって証明されうるだろうか?

所詮それを確認するのは我々の意識であり 精巧に測定計量されたものしか厳密には 誰もその変化がないとはいいきれないだろう

私の直感をいうなら おそらくこの我々の 共通認識の場 である 物質的環境事態 も もしある特定地域の人全ての意識が、長期に渡り非常に不鮮明で進行したなら ありえない変化を起こしているかもしれない 誰もその実験をしたものはいないのだ
なぜにそれがいえるのか?といえば バイオセントリズム理論によれば 我々の意識とこの物質宇宙は複雑に表裏一体となり 縺れ状態にある としているのだ

ただただ 時間的にこの世は余裕があるため 大方 人々の意識が鮮明である割合が多くなり 意志の監視 が行き届く割合が多いというだけで

個人の内的視点でみた場合の 時間の進行 が遅いだけで、性質はほとんど夢の世界と同じであり 意識が不鮮明なときは、事態は意志の主体性とは裏腹に自分の思考や肉体さえもがどんどん勝手に進行していってしまうといえるだろう

その不鮮明なときは 誰しも 後で考えると、なぜに自分はあのときあのような思考や判断をしたのだろう と首を傾げるものだ

それが証拠に 私達は いつ自分達の意識がこの世に発生したかも何も覚えてはいない

そういうとどうだろう ほとんどの人は

「 そんなのあたりまえじゃん 赤ちゃんがそんなことわからないし それは、もの心つくまで無理だよ 」

というだろう しかし次の瞬間気づくのだ
それって毎晩みる夢の世界と全く同じじゃないだろうか と

貴方が 5日まえのいついつ 何をみて何を感じたのか? それだって覚えている人はほとんどいない そして人によっては 自分が大好きだった食べ物の趣向性もどんどん変化していることに気づかない者すらいる

意識の鮮明さ というスポットライトが当てられていないものは、自分の 瞬間瞬間 における 意識空間 にはないのである

そして意識が 不鮮明 なときの物事の処理は、夢の中のそれとあまり変わらない思考で動いていることになるのではないだろうか













人生の葛藤ポイント

人の4大欲求

昨日からあるSNSの投稿をみて ピン!と気づきがおと連れた
それは 現代社会における人口減少を話しあう場面でみた発言だ
現代の若者の恋愛が減少しているという投稿であり
それに自分が意見するところからはじまった

私は、性欲の発現手段に関する見解を述べたのだ
そして現在の若者のそれが低下している原因がどこにあるのか?
といえば それは ちょっとした 野蛮性 であるとして
その 野蛮性の抑制 の実態を 社会の動きで説明してから
若者の性の発現をおさえる実態は、総合的帰結として 人類全ての無意識での希望の結果だとした

するとそれに対する返答に 投稿者は それを フロイトのリビドー論を引き合いにだして
その解決策は リビドーの昇華方法であったり正しいアプローチの仕方が必要だと説いた


そして それからが私の新たな気づきを引き起こすことになるのだが
フトイトが説く 人の三大欲求を説明し 性欲だけは生死に関わるものではないため
現在のような状況を招いているのではないか・・・・・と したのである

これを聞いて私の脳裏にいくつかの悟りがもたらされた

この記事にあげるのは そのうちの 大きなポイント2つである

まず一つ目は この種の問題 人の基本欲求とは何だろうとする 問だ
考えてみると 自分は いゃ 大方の人がこれについて物心ついて以来 人生の随所で1人で考えたり また友達と話したりする 大きなポイントではないか?
それはさらにもう少し広い視野でいうなら 人が生きる目的にもつながり また人を評価する際の基本となる部分でもある
つまり これは人であれば必ず考えさせられるポイントということがわかる
つまりそこに 人の 葛藤ポイント があるというのが次の気づきである
こんなふうに 人は必ず哲学的思索を行うポイントというのがあり それは多かれ少なかれ全ての人がであうものだ

葛藤ポイント

例えば 戦争と平和 とか・・・・・ 宇宙の果てはどうなっているのか? とか・・・ そして誰しも必ず思うであろう 神とは存在するのか? はいわなくてもわかるだろう

こういった 暗黙のうちに存在する 葛藤ポイント なるものがどれくらいあるだろうか?
私の次の思考はそのように展開した
ちょっとまてよ これって 100個もないよな~ 精々 数10個ぐらいだろう
そしてさらに それなら 逆にこういった暗黙に存在する 精神の葛藤ポイント
これらを制御することで 社会を軽くコントロールできるのではないか?
それらの模範解答をつくり 権威付けすれば我々が想像するより遥かに楽に 社会を同方向性へ導くことが可能なのではないか?

考えてみるとなぜ今までこれに気づかなかったのだろう? 世界観察における これら
暗黙のうちに存在する 葛藤ポイント というのはそのほとんどが哲学的命題に結びついていて だいたいにおいて その種類の数は奇麗にまとめることができるというのは間違っていないだろう ということはそれは太古から今までに人心を掌握するのに使われてきたというのは まず間違いないだろう
ちなみに
人の3大欲求なるものは 誰もが知るとおり

1,食欲 2,睡睡眠 3,性欲


となるが 今この時代にこの理屈を並べてみてみなさんはどう感じられるだろうか? これら3つは 場面的にみても 時間的にみても そもそも全く違う次元のものを比べていることは明らかである

 ハッキリいってしまえば このようなものをランク付けしてそこから人間学を割り出すなどおかしな話だと気づくのではないだろうか? 
私の見解は こうだ

 1,智欲 2,共感欲 3,生命維持欲 4,みせかけの性欲

 1の智欲とは とにもかくにもまず自分が置かれた状態を知りたいとする欲求であり それ即ち 自分とは何か? という疑問のはじまりでもある
 2の共感欲とは 自分が知ったものを他の自分と同存在達と共に共感したいとする欲求であり それは派生して 説教欲などを生み出してしまうことがある よって説教好きな人は飯を食べるのも惜しんで人に説教をするし 人は人と価値観を共有するためなら命をはることすらある
それからがやっとフロイトのあげた 欲望になる

なぜにこのような順番になるのかという詳細な説明は省くが 今まで私個人としてはそれをずっと感じてきた

キーワード

ポジティブ ネガティブ

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