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夢の現れとは?


問題はいつみているのか?





この記事は前回の 人生の葛藤ポイント の続きだ
前回は 例のとある SNS で自分が発言をするきっかけになった 投稿内容
若者の 恋愛や結婚 が減少する原因についての指摘で 投稿者は 最後には
フロイトの リビドー論 を持ち出して その最終要因を
性欲 という人の 三大欲求 でも3番目に位置する欲求ということで

「・・・・・性欲だけは生死に関わるものではないため 現在のような状況を招いているのではないか・・・・・」・・・・・解答①

としたのである
さて ここで問題は まずこの投稿者がどれほど真剣にこの私の質問にむきあっていたか? という部分も含め その点は完全自由であり 常識論の範疇で 投稿者を責めたり非難する種の問題では全くないということを理解した上での話だが

あえて この投稿者を 仮想的な人 Aさんとしておくなら
Aさんの解答が 少し的をはずしているのは誰もがおわかりだろう
なぜなら この解答①が真実なら 昔も今も 若者の 結婚 や 恋愛成就率 に性欲が与える影響は全くかわらないことを意味している 生死に関わるものではない とするのは昔も今も変わらないからだ

ここで私は 投稿者A と自分との間でなされた会話の流れをじっと観察した
Aさんにしてみれば 私はいわば 突然の飛び込みの来客であり 半ば適当に答えて普通である しかし今、仮にこれがある程度真面目にとりあった結果とした場合を仮定して
なぜにこのような 解答 をだしたのだろうと・・・

 前回の記事で少し触れたが 私の 問いかけ は ↓に示すようにとらえどころのない問いかけだ

『 公園で遊ぶ子供 も減った ⇒ 野蛮性 の減少
でもいくらこんなこと話したとて 現実は
人口はますます過密 ITは益々促進 ロボットがウロチョロする世界 はもうまじか・・
いくら若者に期待しても かつてのような人間らしさはまず戻らない
異性の前 赤恥をさらしてでも目的をとげてやるとするのは、野蛮性以外ないでしょ?
しかし 今の学校の先生達がどれほどこういった事をうまく教えていることやら・・・ 疑問だし さらにそういった学校の先生にクレームばかりつけて社会全体を神経質に仕立てて社会全体を 女性化 させているのは庶民なわけで・・・・
つまり恐ろしいのは我々全体の 無意識 がそれを求めていないものは絶対に 現実化 することはないと思います 』

っとしめくくったのだ 実は解答が単純にはいかないちょいと意地悪な意見なのだ
当然こんな意見を ひょいと言われた投稿者Aさんは 心理学者 や スピリチュアルカウンセラー でもない限り 解答に困ることは容易にみてとれる Aさんは答えただけ立派だ

つまり おそらくだが 意見の意図が読めず 戸惑いながら解答した結果が上に示すとおりで だした結論の結果が それをいうなら昔も変わりないじゃん という回答になるのである

その解答をみたとき 私は思った この解答を書いていたAさんは、おそらく「その瞬間」
そこに存在していないのだろうと・・・・・
それがゆえに そのような完全に因果律に矛盾をきたす解答をしたのだろうと
そして次の瞬間 その そこに存在していない という↑の私の指摘は
このAさんの思考が、どのようなものをみていたのか? という次の視点が開けたのである

そして気づいたのだ この前回からの投稿に対する意見の返信に見られるような
いわば「 ポカミス 」が、当然ながら社会にはそこら中に存在している
私は もちろん だから気を引き締めろ!ということがいいたいのではなく
これが意味する その瞬間におけるその人の意識とは どこにいるのだろう?

ここにきて閃いたのが 夢の世界 と同じだな~ っとする認識だ

おわかりだろうか?

それは存在しているのかしていないのか?わからないような夢の中の 思考プロセス
誰しも わかるとおり これはまさしく 我々が夢の世界でおこなっている姿勢といえるだろう
それは、その都度 夢の場面場面を理解認識してはいるが、思考が鮮明に働かず その都度その都度 自分がおかしな態度や判断をしていることは、誰もが実感しているだろう
なんといっても 毎晩みる夢は そのように展開していく そこに異論はないはずだ

しかし考えてみれば 人がポカミスをするときのそれもほとんど同じだといいたいのである
もちろん現実のリアル世界で ポカミス をした場合、人はすぐ自分の非を認め 思考が活発に働き訂正するだろう

しかしその ポカミス をしているまさにその瞬間 もし第3者の目ではなく その人の
意識の中心から その思考経緯を眺めると それはほとんど 夢の中 のそれと違っていないといえはしないだろうか?

そして 現在の脳科学最前線では、人が自分の思考に気づくのは 脳内にその兆候が発生して数秒たってからという見解がある

そういう意味では ある種 日常の全ての思考は、人の意識にとって自動で展開されているプロセスであり そういう意味で意識の鮮明さが薄れているときと 鮮明なとき の違いでしかなく それは毎晩みる夢の世界とて同じである
つまりこれらは あまりこの世界が 夢の世界 とさほど違わないことを意味しているとどうしてもそうなってしまうのだ

夢の世界 でも 意識が鮮明 なときは、自分の意志を確実に反映させているのだ そして意識が不鮮明 なときには 筋が整っていない出来事が爆進する

つまるところそれは この リアル世界 とて全く同じである 共通認識の場である物質的環境が理屈が整わないまま変化するということはまずないが、それをとらえる我々の意識の進行係である思考やマインドにはこれが起こりえることを意味している

いゃ 共通認識の場 である 物質的環境 も確かに誰もが驚くほどの 非科学的変化は簡単にあるものではないが、それが絶対起こっていないとは何をもって証明されうるだろうか?

所詮それを確認するのは我々の意識であり 精巧に測定計量されたものしか厳密には 誰もその変化がないとはいいきれないだろう

私の直感をいうなら おそらくこの我々の 共通認識の場 である 物質的環境事態 も もしある特定地域の人全ての意識が、長期に渡り非常に不鮮明で進行したなら ありえない変化を起こしているかもしれない 誰もその実験をしたものはいないのだ
なぜにそれがいえるのか?といえば バイオセントリズム理論によれば 我々の意識とこの物質宇宙は複雑に表裏一体となり 縺れ状態にある としているのだ

ただただ 時間的にこの世は余裕があるため 大方 人々の意識が鮮明である割合が多くなり 意志の監視 が行き届く割合が多いというだけで

個人の内的視点でみた場合の 時間の進行 が遅いだけで、性質はほとんど夢の世界と同じであり 意識が不鮮明なときは、事態は意志の主体性とは裏腹に自分の思考や肉体さえもがどんどん勝手に進行していってしまうといえるだろう

その不鮮明なときは 誰しも 後で考えると、なぜに自分はあのときあのような思考や判断をしたのだろう と首を傾げるものだ

それが証拠に 私達は いつ自分達の意識がこの世に発生したかも何も覚えてはいない

そういうとどうだろう ほとんどの人は

「 そんなのあたりまえじゃん 赤ちゃんがそんなことわからないし それは、もの心つくまで無理だよ 」

というだろう しかし次の瞬間気づくのだ
それって毎晩みる夢の世界と全く同じじゃないだろうか と

貴方が 5日まえのいついつ 何をみて何を感じたのか? それだって覚えている人はほとんどいない そして人によっては 自分が大好きだった食べ物の趣向性もどんどん変化していることに気づかない者すらいる

意識の鮮明さ というスポットライトが当てられていないものは、自分の 瞬間瞬間 における 意識空間 にはないのである

そして意識が 不鮮明 なときの物事の処理は、夢の中のそれとあまり変わらない思考で動いていることになるのではないだろうか













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