明晰夢


明晰夢

 ・・・ これほど自分の人生観に影響を与えた現象はないといえる

私は 中学のある時期から高校にかけて おそらく週1~週4ぐらいのペースで明晰夢をみていた その後も30歳にいたるまでたまに体験したが、最も 濃密な明晰夢 は断トツに高校時代だった。
高校時代は私の人生で最も悲惨だったため、ある種私の 意識の奥 の実在がそれを中和させるため 実在の欠片 を私に垣間見せたといえると思われる
私は 旅行なるものにはほとんど興味がない もちろん海外旅行の経験はあるがどんな壮大な景色をみても明晰夢に比べたらその比ではないと軽くわかるからだ
といえば 貴方は「でも・・・所詮夢でしょ」というだろう

それは確かにこの世においてはそうだ だけどその『 内的質感 』たるや半端でなくて リアル世界での5感は全てある それどころか例えばその思春期の野郎が真っ先に妄想する

それは逆に明晰夢の方がはるかに上なのだ

まず 私がおそらく最初に 明晰夢 に気づいたのは あるとき 地元の街の祭りをふらつ
いている夢をみていた 風景は最近みる夢とは違い鮮明で リアル とほとんどかわらない
祭りの屋台や通りすがる人の中を自分が歩いているその時 もしここで何もおこらなかったならその夢は例え後で夢を覚えていてもやがて忘れていたかもしれない しかしそれは起こった その祭りで賑わう街の通りを歩いていると ここが重要で
何の前触れもなく

ただただ ふっ と『 これは夢の中だな 』と気づいたのだ


わかるだろうか? そこになぜ気づくことができたのか? という 原因やきっかけ は一切無い 原因なるものは無い のだ

歩いているとき次の瞬間に・・・あっ これは夢? すかさず手の平をみてつねってみた しかしつねると感触はあるが痛くは無い しかしそれで夢だとわかったわけではなく そんな行動をとっている最中にも 問答無用 で 夢だというのは認識できてしまった
認識できたら 夢なら好きなだけ何でもできるはずだ!と

即座に空を飛びはじめた

最初はなかなかうまく飛べなかったが やがて楽勝でスーパーマンみたいに空に舞い上がり街を離れ森やら林やらの上を飛びまくり 当然すぐに

そうだ! 宇宙で遊ばないと損だ!

ということで 宇宙を飛び回った もちろん星々や星雲なるものもちゃんとみれるのだ そして 気が向いたところである星に不時着して そこの住人らしき奇妙な生命体と話したりもした あまりに分析を働かすと夢から覚めるため やがて分析する癖を少なくして それより宇宙空間を楽しんで 飛び回るうちに 今度は様々な次元を経験した
 もうそれはなんともいえない不可思議な世界や 次元と次元の境界みたいな箇所
たくさんの世界が存在していて 気が付くと 今でいうところのパラレルワールドみたいな この世の現実とわずだけ違うみたいな世界に入りこみ 自分の家の近所の範囲にあるはずのないビルがあり その5階あたりに 服飾店の作業場がありそこをフワフワ浮いている自分に気づき そのビルは何だろうと探索したり めくるめく世界が変わることを経験した もちろん 化け物もたいなものがいる世界もあったりしたし 人と話すこともあったが

不思議なことに恐怖を感じることは一切なかった

とにかく色がすばらしく オーロラみたいなものは何回もみたし 森や林、海なども実際質感をともなっていていくらでもでてきた 最初はただその都度その都度最初からある環境を楽しんだが、やがては そういった景色すら自分がいくらでも創造できることに気づいた  その後は

自分のイマジネーションによりどんなものでも創造して楽しんだ

宇宙船から その当時の理想像の女 何でも創造することができて 創造した生命体はちゃんとコミュニケーションしてくるから不思議だった 今ならそれら創造した人間や化け物が何を話しかけてくるか分析するのだが その当時は 何かしゃべりかけてきても気にとめず 夢の世界はなんでも許されると思い 全て好き勝手に遊んだものだ 途中でくわす今なら霊的な存在かもしれないようなものも適当に接して気にいらなければイメージで適当に吹き飛ばして遊びまくったのだ それが今では くやまれる

 今なら間違いなくもっと厳密に観察するのだが 当時は所詮夢だからということで遊ぶことしか気にとめなかった
厳密にいうなら 明晰夢は

明晰夢 ⇒ 夢 ⇒ 明晰夢 ⇒ 少し目覚める ⇒ そのまま明晰夢 ⇒ 夢

という具合でその日その日まちまちで 場合により現実より濃密に鮮明であるかと思えば ほとんど希薄な明晰夢もあったり またその夢と明晰夢の間の領域で何か得たいの知れないものになっていたり 完全に何も無い状態を意識していたり また

夢の中で夢をみてさらにその中でまた夢をみて順次目覚めていく

ということすらあった あの当時経験したことを今も経験できたらどれだけ多くの発見があるだろうか? と思えるほど毎日いろんな明晰夢を経験した そういった中で覚えているのは

現実とのつながり

だ あるとき わずかに明晰夢になっている状態(かすかにこれは夢だろうという意識が働いている)で

 氷の祭典みたいな会場で 思い切りその氷を割った それは所詮夢だからということだが そして氷はバリンと割れた 驚いて目が覚めた その1秒後 お婆さんがトイレにいくため縁側を通る時 その縁側のガラス戸につまずきガラスが割れて それで家族を起こしにいったことがあった もうわかると思うが 氷の祭典みたいな会場の夢で その氷を割る ⇒ バリンと割れる ⇒ その1、2秒後 おばあさんが戸のガラス枠を割る という摩訶不思議な現象が起きたのだ そんなことがほんとの偶然で起きえるはずがないと ガキながら思ったものだった
それ以外にも現実のリアルとつながる明晰夢はあったのだが今明瞭に覚えているひとつはこれだ

厳密には 最初からある自然や物体と自分がイマジネーションでつくりあげる物体や環境がその都度その都度楽しんだということだ

なんといっても 飽きることがないわけだ なぜかといえばいつも鮮明で感動と驚きがあるからだ そしていくらも好きなように操れるというのがこれまた面白かった

 例えば 今この記事を読んでいる貴方は おそらくパソコンの前かスマフォをみているのだろうけど 貴方のまわりのPCや机 床 あるいは自然 当然それらはリアル世界のもので鮮明だろう 現実感があるわけだ もう一度おさらいのためにいうが それと同レベル 場合によりそれより鮮明という意味がわかるだろうか? もしその明晰夢をみているとき 分析する気持ちを控えれば控えるほど より鮮明さは増すのであり完全な実態であり

五感どころか第6感も含め現実よりリアリティがある

のである それは驚きと驚嘆以外の何ものでもない
 例えば自分はよく経験するが、シンクロニシティの連続 が続くということは内的なイメージや思いと外界の現実の一致を現わしている

 それはつまるところ内面世界と外界のこのリアル世界が同じものになってきているという証だといえるのではないか?

つまり時間の周波数というものが違うだけで もはやその状態とは明晰夢と同じで内的世界とリアル世界が溶け合い 一致していっている証がシンクロニシティとして現れているのだ それは私の経験がどうこうでなくて 実際問題ほとんど全ての聖者なるマスターはいっている この現実の世界も全く『夢』と同じようなものでただ 時間の進行だけが違うと

そして なぜに明晰夢は 何の原因もなく『これは夢だ』と気づくのか?

その気付きに原因は一切ない あるのかもしれないがそれは常識論でいうところの原因は全くなくただ単なる気づきの一種でしかない

 つまりは 明晰夢もリアル世界の気づきも またリアル世界のシンクロニシティも全て気づきであり そこに常識論でいうところの原因なるものは一切ないのだ

全ては 気づきを送り出す 奥に存在しているであろうブラックBoxからでてくるのであり その仕組みは全てブラックBoxに起因する そう! 絶対実在 究極の実在がおこなっているのである 人間は毎旬毎旬『気付き』の中でいきている その広義の気づきとは別に、明晰夢や閃きをいわなくても 毎日の日常というのは この気づきがあってはじめてなされる状態であり もし人から気づきをとりあげたなら 貴方という存在時空はその瞬間に全て奇麗に消えてしまうだろう そこにはもはや夢さえ存在しないだろう 気づきの連鎖が日常を構成しているのであり 最もベースに存在しているのだ ここでいう最も根底に流れるベース これが最も重要なのである 最も根底! なぜにこれを力説するか?

全ての疑問はこれでとけるからだ 例えば幽霊は存在するのか? 輪廻転生はあるのか? 宇宙の構造は? 神秘的な世界を認めたら認めたなりに即座に次ぎの疑問が次から次へと沸き起こるだろう

これらの詳細な説明をしていたら いくらページがあっても足りないわけで 結論からいってしまえば 私が悟ったことは 輪廻転生すら! 貴方がそれを認めた瞬間に即座にそれは確実に存在してしまうのである その膨大な仕組みは 貴方がそれを認めた瞬間に即座に確実に存在し驚くようなストーリーを展開するのである そう それは常識論の範疇で、ありありと存在して影響するのである 究極の実在の想像を絶するパワーとはここにあるということがおわかりだろうか?
 なんでそんなことが可能か? というのは実は簡単でホログラフィック宇宙論を真剣に認識すればおのずとその解答がえられるのである ヒントは我々の体すら構成している1原始の中に全体である宇宙全ての情報があるからだ(エハンデラヴィの動画参照)

ちなみに参考までにいうが 自分はエハンデラヴィ氏とはメールを一度もらった程度のつながりだ だが自分は彼を最高に尊敬している
そしてこれは勘所だが エハン・デラヴィ はたぶん 自分の明晰夢体験 と同クラスか それよりさらに強烈な明晰夢をみたことがあるだろうと思われる

冒険心 世界No1の男 それは エハン・デラヴィ だ!

 だから 眠る前のウトウト状態において、場合により自分とは全く関係のない他人の概念やストーリーを垣間見るといえるのだ 例えば 寝入る瞬間に一瞬思った感情やイメージの形が他人のそれとたまたま共鳴した場合 即座にそれらのイメージが自分にもみえたり体験したりしてしまうとなるわけだ もちろんそれは集合的無意識を通してなされることは言うまでもないとなる なんといっても我々の体を構成している1原始1原始の中にすら全宇宙と絶えずつながり情報を更新している全宇宙のホログラム像があるんだからそんなものは朝飯前という話である

 つまりも~我々は この系統の話をオカルトだとかスピリチュアルだとかいうレベルで終える時代はおわっているのである あまりにも馬鹿馬鹿しい低レベルなことに執着していては損も極まりないとなるのである

(つくりさしのブログで申し訳ないがみてください https://holism.amebaownd.com/ )


追って話していくけど つまり幹細胞研究の5本の指に入る高名な生物学者 ロバートランザ 博士 の バイオセントリズム理論 またホログラフィック宇宙論が意味することは もし人間だけをみるなら この宇宙には、究極的には、

たった一人の人間しかいないことを意味している

なんとそれは誰もが隠しておきたい内面の奥にいけばいくほど同一人物になることを意味している おわかりだろうか?

https://ameblo.jp/jcurrent/entry-12197721087.html

ひさびさに超長文をかいたから殴り書きごめん

夢の実態

夢をみているとは?


夢の風景

夢の現れとは?


問題はいつみているのか?





この記事は前回の 人生の葛藤ポイント の続きだ
前回は 例のとある SNS で自分が発言をするきっかけになった 投稿内容
若者の 恋愛や結婚 が減少する原因についての指摘で 投稿者は 最後には
フロイトの リビドー論 を持ち出して その最終要因を
性欲 という人の 三大欲求 でも3番目に位置する欲求ということで

「・・・・・性欲だけは生死に関わるものではないため 現在のような状況を招いているのではないか・・・・・」・・・・・解答①

としたのである
さて ここで問題は まずこの投稿者がどれほど真剣にこの私の質問にむきあっていたか? という部分も含め その点は完全自由であり 常識論の範疇で 投稿者を責めたり非難する種の問題では全くないということを理解した上での話だが

あえて この投稿者を 仮想的な人 Aさんとしておくなら
Aさんの解答が 少し的をはずしているのは誰もがおわかりだろう
なぜなら この解答①が真実なら 昔も今も 若者の 結婚 や 恋愛成就率 に性欲が与える影響は全くかわらないことを意味している 生死に関わるものではない とするのは昔も今も変わらないからだ

ここで私は 投稿者A と自分との間でなされた会話の流れをじっと観察した
Aさんにしてみれば 私はいわば 突然の飛び込みの来客であり 半ば適当に答えて普通である しかし今、仮にこれがある程度真面目にとりあった結果とした場合を仮定して
なぜにこのような 解答 をだしたのだろうと・・・

 前回の記事で少し触れたが 私の 問いかけ は ↓に示すようにとらえどころのない問いかけだ

『 公園で遊ぶ子供 も減った ⇒ 野蛮性 の減少
でもいくらこんなこと話したとて 現実は
人口はますます過密 ITは益々促進 ロボットがウロチョロする世界 はもうまじか・・
いくら若者に期待しても かつてのような人間らしさはまず戻らない
異性の前 赤恥をさらしてでも目的をとげてやるとするのは、野蛮性以外ないでしょ?
しかし 今の学校の先生達がどれほどこういった事をうまく教えていることやら・・・ 疑問だし さらにそういった学校の先生にクレームばかりつけて社会全体を神経質に仕立てて社会全体を 女性化 させているのは庶民なわけで・・・・
つまり恐ろしいのは我々全体の 無意識 がそれを求めていないものは絶対に 現実化 することはないと思います 』

っとしめくくったのだ 実は解答が単純にはいかないちょいと意地悪な意見なのだ
当然こんな意見を ひょいと言われた投稿者Aさんは 心理学者 や スピリチュアルカウンセラー でもない限り 解答に困ることは容易にみてとれる Aさんは答えただけ立派だ

つまり おそらくだが 意見の意図が読めず 戸惑いながら解答した結果が上に示すとおりで だした結論の結果が それをいうなら昔も変わりないじゃん という回答になるのである

その解答をみたとき 私は思った この解答を書いていたAさんは、おそらく「その瞬間」
そこに存在していないのだろうと・・・・・
それがゆえに そのような完全に因果律に矛盾をきたす解答をしたのだろうと
そして次の瞬間 その そこに存在していない という↑の私の指摘は
このAさんの思考が、どのようなものをみていたのか? という次の視点が開けたのである

そして気づいたのだ この前回からの投稿に対する意見の返信に見られるような
いわば「 ポカミス 」が、当然ながら社会にはそこら中に存在している
私は もちろん だから気を引き締めろ!ということがいいたいのではなく
これが意味する その瞬間におけるその人の意識とは どこにいるのだろう?

ここにきて閃いたのが 夢の世界 と同じだな~ っとする認識だ

おわかりだろうか?

それは存在しているのかしていないのか?わからないような夢の中の 思考プロセス
誰しも わかるとおり これはまさしく 我々が夢の世界でおこなっている姿勢といえるだろう
それは、その都度 夢の場面場面を理解認識してはいるが、思考が鮮明に働かず その都度その都度 自分がおかしな態度や判断をしていることは、誰もが実感しているだろう
なんといっても 毎晩みる夢は そのように展開していく そこに異論はないはずだ

しかし考えてみれば 人がポカミスをするときのそれもほとんど同じだといいたいのである
もちろん現実のリアル世界で ポカミス をした場合、人はすぐ自分の非を認め 思考が活発に働き訂正するだろう

しかしその ポカミス をしているまさにその瞬間 もし第3者の目ではなく その人の
意識の中心から その思考経緯を眺めると それはほとんど 夢の中 のそれと違っていないといえはしないだろうか?

そして 現在の脳科学最前線では、人が自分の思考に気づくのは 脳内にその兆候が発生して数秒たってからという見解がある

そういう意味では ある種 日常の全ての思考は、人の意識にとって自動で展開されているプロセスであり そういう意味で意識の鮮明さが薄れているときと 鮮明なとき の違いでしかなく それは毎晩みる夢の世界とて同じである
つまりこれらは あまりこの世界が 夢の世界 とさほど違わないことを意味しているとどうしてもそうなってしまうのだ

夢の世界 でも 意識が鮮明 なときは、自分の意志を確実に反映させているのだ そして意識が不鮮明 なときには 筋が整っていない出来事が爆進する

つまるところそれは この リアル世界 とて全く同じである 共通認識の場である物質的環境が理屈が整わないまま変化するということはまずないが、それをとらえる我々の意識の進行係である思考やマインドにはこれが起こりえることを意味している

いゃ 共通認識の場 である 物質的環境 も確かに誰もが驚くほどの 非科学的変化は簡単にあるものではないが、それが絶対起こっていないとは何をもって証明されうるだろうか?

所詮それを確認するのは我々の意識であり 精巧に測定計量されたものしか厳密には 誰もその変化がないとはいいきれないだろう

私の直感をいうなら おそらくこの我々の 共通認識の場 である 物質的環境事態 も もしある特定地域の人全ての意識が、長期に渡り非常に不鮮明で進行したなら ありえない変化を起こしているかもしれない 誰もその実験をしたものはいないのだ
なぜにそれがいえるのか?といえば バイオセントリズム理論によれば 我々の意識とこの物質宇宙は複雑に表裏一体となり 縺れ状態にある としているのだ

ただただ 時間的にこの世は余裕があるため 大方 人々の意識が鮮明である割合が多くなり 意志の監視 が行き届く割合が多いというだけで

個人の内的視点でみた場合の 時間の進行 が遅いだけで、性質はほとんど夢の世界と同じであり 意識が不鮮明なときは、事態は意志の主体性とは裏腹に自分の思考や肉体さえもがどんどん勝手に進行していってしまうといえるだろう

その不鮮明なときは 誰しも 後で考えると、なぜに自分はあのときあのような思考や判断をしたのだろう と首を傾げるものだ

それが証拠に 私達は いつ自分達の意識がこの世に発生したかも何も覚えてはいない

そういうとどうだろう ほとんどの人は

「 そんなのあたりまえじゃん 赤ちゃんがそんなことわからないし それは、もの心つくまで無理だよ 」

というだろう しかし次の瞬間気づくのだ
それって毎晩みる夢の世界と全く同じじゃないだろうか と

貴方が 5日まえのいついつ 何をみて何を感じたのか? それだって覚えている人はほとんどいない そして人によっては 自分が大好きだった食べ物の趣向性もどんどん変化していることに気づかない者すらいる

意識の鮮明さ というスポットライトが当てられていないものは、自分の 瞬間瞬間 における 意識空間 にはないのである

そして意識が 不鮮明 なときの物事の処理は、夢の中のそれとあまり変わらない思考で動いていることになるのではないだろうか













人生の葛藤ポイント

人の4大欲求

昨日からあるSNSの投稿をみて ピン!と気づきがおと連れた
それは 現代社会における人口減少を話しあう場面でみた発言だ
現代の若者の恋愛が減少しているという投稿であり
それに自分が意見するところからはじまった

私は、性欲の発現手段に関する見解を述べたのだ
そして現在の若者のそれが低下している原因がどこにあるのか?
といえば それは ちょっとした 野蛮性 であるとして
その 野蛮性の抑制 の実態を 社会の動きで説明してから
若者の性の発現をおさえる実態は、総合的帰結として 人類全ての無意識での希望の結果だとした

するとそれに対する返答に 投稿者は それを フロイトのリビドー論を引き合いにだして
その解決策は リビドーの昇華方法であったり正しいアプローチの仕方が必要だと説いた


そして それからが私の新たな気づきを引き起こすことになるのだが
フトイトが説く 人の三大欲求を説明し 性欲だけは生死に関わるものではないため
現在のような状況を招いているのではないか・・・・・と したのである

これを聞いて私の脳裏にいくつかの悟りがもたらされた

この記事にあげるのは そのうちの 大きなポイント2つである

まず一つ目は この種の問題 人の基本欲求とは何だろうとする 問だ
考えてみると 自分は いゃ 大方の人がこれについて物心ついて以来 人生の随所で1人で考えたり また友達と話したりする 大きなポイントではないか?
それはさらにもう少し広い視野でいうなら 人が生きる目的にもつながり また人を評価する際の基本となる部分でもある
つまり これは人であれば必ず考えさせられるポイントということがわかる
つまりそこに 人の 葛藤ポイント があるというのが次の気づきである
こんなふうに 人は必ず哲学的思索を行うポイントというのがあり それは多かれ少なかれ全ての人がであうものだ

葛藤ポイント

例えば 戦争と平和 とか・・・・・ 宇宙の果てはどうなっているのか? とか・・・ そして誰しも必ず思うであろう 神とは存在するのか? はいわなくてもわかるだろう

こういった 暗黙のうちに存在する 葛藤ポイント なるものがどれくらいあるだろうか?
私の次の思考はそのように展開した
ちょっとまてよ これって 100個もないよな~ 精々 数10個ぐらいだろう
そしてさらに それなら 逆にこういった暗黙に存在する 精神の葛藤ポイント
これらを制御することで 社会を軽くコントロールできるのではないか?
それらの模範解答をつくり 権威付けすれば我々が想像するより遥かに楽に 社会を同方向性へ導くことが可能なのではないか?

考えてみるとなぜ今までこれに気づかなかったのだろう? 世界観察における これら
暗黙のうちに存在する 葛藤ポイント というのはそのほとんどが哲学的命題に結びついていて だいたいにおいて その種類の数は奇麗にまとめることができるというのは間違っていないだろう ということはそれは太古から今までに人心を掌握するのに使われてきたというのは まず間違いないだろう
ちなみに
人の3大欲求なるものは 誰もが知るとおり

1,食欲 2,睡睡眠 3,性欲


となるが 今この時代にこの理屈を並べてみてみなさんはどう感じられるだろうか? これら3つは 場面的にみても 時間的にみても そもそも全く違う次元のものを比べていることは明らかである

 ハッキリいってしまえば このようなものをランク付けしてそこから人間学を割り出すなどおかしな話だと気づくのではないだろうか? 
私の見解は こうだ

 1,智欲 2,共感欲 3,生命維持欲 4,みせかけの性欲

 1の智欲とは とにもかくにもまず自分が置かれた状態を知りたいとする欲求であり それ即ち 自分とは何か? という疑問のはじまりでもある
 2の共感欲とは 自分が知ったものを他の自分と同存在達と共に共感したいとする欲求であり それは派生して 説教欲などを生み出してしまうことがある よって説教好きな人は飯を食べるのも惜しんで人に説教をするし 人は人と価値観を共有するためなら命をはることすらある
それからがやっとフロイトのあげた 欲望になる

なぜにこのような順番になるのかという詳細な説明は省くが 今まで私個人としてはそれをずっと感じてきた

キーワード

ポジティブ ネガティブ

ネガティブ ポジティブ 幸せの法則 陽転思考 いい加減このような西洋からきた 単純思考洗脳 から脱皮しよう それが今回の記事の主題だ 貴方は、今急速に広まっているこれらの マインド 思考法 を本音の部分でどうみているだろうか? もしやこれを方便でなくて 本気でみて...