チャクラ

チャクラ理論

脱チャクラ

への誘い を私は呼び掛ける。チャクラ で チャラチャラ 論争するのは終わりにしよう
瞑想宇宙

もちろん、それは 日頃 スピリチャル などに熱をあげている人へのメッセージだ
瞑想世界は大きく2つにわかれる
宇宙意識 波動

① 思索系 を主体として 宇宙意識 悟り 解脱 を目指す 禅, ラージャヨーガ, ジュニャーニヨーガ

② タントラヨーガ, 生体エネルギー調整系瞑想, 気功 チャクラ開発を目的とした瞑想

これらのうち ②にあたる 瞑想 または ①であっても 集中のポイントとして チャクラ を想定し それに向けて意識を集中する人は多い
私も過去25年間 瞑想を続けてきた その過程にあって、この 霊的中枢センター には根強い拘りをもっていた

しかし 今 究極の実在 を目指す 瞑想において これは邪魔であり、また 魔境の一種 だと断言するのである
以前ひたすら 宇宙意識 を目指し バリバリ チャクラ 開発に熱をあげていた時とは本質的には全く逆の姿勢を今は とっている

そもそも 日本において、いつからこのチャクラが取り上げられるようになったのか? まずはそこから論ずれば


神通力

これだ! 私が小学時代?中学時代だっただろうか? 今からもう40年程前の 何かのテレビ番組で、インドのヨガ行者を大々的に取り上げ、そして彼らは、チャクラ に意識を集中することで 神通力 さえ発揮するということをアピールしたところから始まっている

それまで巷の精神世界で、チャクラ なるものを聞くようなことは一切なかった

もちろん 日本の 座禅のメッカ である 永平寺 などの 禅の高僧 で チャクラ なるものを力説するものなど、少なくとも昔は一人もいなかった


魔境

精々 丹田 に 意識を集中 といった類をいう人はいただろうが、チャクラなるものは、魔境の一種 と言われて終わった


チャクラの覚醒

しかし 私はそのテレビでみたチャクラ理論 に感銘を受け、その後入った 日本で最も初期段階から チャクラ理論 を果敢に掲げる 某新興宗教団体で、必死に チャクラ 瞑想 を求めたが、結局のところその教団では

チャクラの開発は、基礎から段階を踏む慎重さが要求されるため基本的には、伝法会で直接にしか教わることはできない

としていたのだ、自分はそれが気にいらなく その団体を去るきっかけになった(もちろんこの団体はオウムではないのであしからず)

以後その団体では、気軽に チャクラ に関して何かを言うたびに論争がおこったものだ 全くおかしな話で おわっている


宗教からの目覚め

そもそも日本の 新興宗教団体 というのは何かをするため、何かを ブラックボックス にするという手法をとるのである 私はこのような態度が最も嫌いであり、このような態度はヨガや宗教如何に関わらず 人の見聞を狭め 馬鹿を増産するのである


宇宙の法則

いい加減目覚めろ! そのような団体は積極的に避難すべきである かたや我々日本人は政治に異常にうるさいのだ その心意気があるなら、ぬかりなく 宗教やスピリチュアル においてもそれをやるべしといっておこう それをやらない姿勢は将来貴方はそれだけ馬鹿になることをダイレクトに意味している。貴方から 真の万人に通用する 宇宙の法則 を隠そうとする輩に攻撃の手を緩めてはならない!

その後私は、カルチャースクールで堅実な ハタヨガ を習い、片方で 自己流の 瞑想 を実践する事を、日々の瞑想ヨーガ修行の日課としていた
クリスタル

ときに当時の自分は そうやって ヨーガ や 瞑想 をするからにはその目的には強い拘りがあり、そこはほんと素直に 絶対的に 超能力 を得られなければ、やる意味は全く無い! と強烈なわりきり目的でもっていたのである

神秘の解明

しかもその動機に自信をもっていた。なぜなら みんなそれが本音のくせに 人前では隠している! 故に自分は素直に告白するだけマシだということだった 今考えるとそれも正確ではなく 自分は本能的に神秘はいつか解明しないと気が済まない性分にある
そしてこれは今も変わらないのが、これら 宇宙の神秘性 の解明において、宗教は一切関係無しとする姿勢である。これが! 超重要だ
ほんとどれだけ多くの者が宗教によって馬鹿にされてきたことか!


瞑想家の義務

瞑想家たるや 宗教を参考にしてもいいがそれに染まったらおしまいである、なぜなら宗教とは 団体運営学 以外の何ものでもない!
よって私はいう 貴方も日本独自の伝統宗教は伝統で行い 神秘性追求の道に宗教を絶対かぶせるな!と
なぜなら 瞑想の世界でそれをやると その時点から視界は狭まりおそらく目標は達成できないだろう
神秘性追求 はどこまでも 神秘性追求 であり、貴方も学者であり瞑想家としてこの道においては、宗教を投げ捨てる ことを推奨する


宗教とは団体運営学

勘違いしたらダメなのは、無信仰、唯物論者になれといっているのではなく『 団体運営学 』と『 神秘性追求学 』をこれでもか!これでもか!とシビアに見極めろということだ。これこそが日本人を あるいは人類を 全体的にそれこそレベルUPできるかどうかの究極の境目になる

認知症の素

貴方もこの世で性を受けた独立した魂であり独立個人なのだ、それを忘れて団体のくさい嘘に誤魔化されてはいけない 団体の実に巧妙なくせぇ~嘘に騙される輩に 瞑想 を語る資格は無い! これは最も重要でありこの観点だけでブログ一記事書けるくらいだ
このような実にくさい猿芝居を見抜けない ゆる~い おつむ が、日本人全般的に『 認知症 』を増やす元となるのである!

元に戻り そういった意味で、特に20代後半~40代までは強烈に修行に専念した。暇な時間があれば 体力Up のための ランニング それが終わってからの柔軟体操 それから ハタヨガ マントラ詠唱 そして 呼吸法 それからがいよいよ 瞑想 だ

しかし自分のそれは、健康など1mmたりとも興味はなく そんなものはクソくらえとしか思っていなかった、ただひたすら超能力獲得のみが純然たる目的のため 瞑想は、毎日短くて2時間 長くて5時間を修した


クンダリニー覚醒

禅のお坊さんをみつけると 貴方はクンダリニーヨーガはやったのか!と食ってかかり やってない場合は「なんでやらない?」と追求して
禅のお坊さんを困らせたものだ 後にクンダリニーヨーガは解説するが、その当時自分は瞑想や座禅、ヨーガをやっているくせに クンダリニーヨーガ をやらない奴は卑怯者だとおもっていた そして必死に クンダリニー覚醒 も目指していた

気が付くと休みの日は 自然の中で2時間のランニング、海でマントラ詠唱1時間 ハタヨガ1時間 後 呼吸法と 瞑想 に残り時間全て使うという日もあった つまりその日は一日中 自己流のヨーガトレーニングをしていたのである

なんといっても その当時は 悟り や 解脱 などどうでもよかった そんなものより 超能力 が目的であり他は一切興味なかったのだ

そんなわけで いつも 瞑想日記 をつけたり 本などから抽出した チャクラの図 を自分なりにまとめ 瞑想はそういった意図にそって行った

だいたいにおいて 呼吸の段階から チャクラにあたるポイントに意識を集中して その点にエネルギーを出し入れするようなイメージで集中を図り だいたいにおいて 瞑想が深まれば その イメージ が忽然と鮮明さが増し 尚一層気合が入った


イメージング瞑想

自分はそもそも 今は亡き 山田孝雄 氏のごくごく標準的な瞑想関連本から入ったし、その某新興宗教団体も さかんに イメージ の重要性を説いていたこともあり 独流の修行において 重視したのは 山田孝雄 ヨーガ根本経典 七田式速読本 魂の科学 本山博氏 その他 仙道術(気功系) これらの本を読みあさり 独特の瞑想体系を自分で組み上げやっていったのだ

まずは 自分で作った 1点イメージ集中カード で呼吸法を使いながら集中力を高め 長時間 単純図形のイメージを固定化する行から行った


凝念 静慮 三昧

今思うとこれが最も地味な作業だった、やがて修行は2系統にわけて、1つは 凝念 静慮 三昧 そしてもう1系統は タントラ系の体の一部に集中していくという方法論だ

そして 当然の結果としてわかるのは、チャクラ というものは、この場合 このタントラ系のやり方の時に必要になってくるわけだ

①の思索系 1つの対象に 凝念 静慮 三昧 を施していく瞑想においては アジナー チャクラ とか アナハタ チャクラ とかいったって意味を成さないわけで それらはどうしたって②になるのである

そして②の瞑想をやる場合は ただひたすら体の一部に意識を集中しまた 呼吸もそれに集中して 意念 を整えるわけだ

いってしまえば 瞑想のやり方として ②の方がはるかに楽である チャクラ による瞑想は 毎日やればやるほど鮮明さは増して やがて 瞑想 が深まれば チャクラ は簡単にイメージとして出現するようになる
そうなれば、後は呼吸に合わせ回転させたり停止させたり いろいろ実験が可能になってくるのだが・・・
一筋縄ではいかないのがこれだ
チャクラを開くために知っておくべき大事な話
神社チャンネルさん

この動画でいうように 瞑想の深度により階層があるのだ 例えばその時の瞑想状態の 瞑想空間 = アカーシャ がどの状態にあるのか?
によって、例えば 同じ 丹田のチャクラ マニプューラチャクラでも その実体性が変化してくる
つまり同じ 例えば マニプューラ チャクラ でも 世にいう プラーナ体 エーテル体 アストラル体 コーザル体 でその存在性が違ってくるのであり、それは瞑想が深まれば深まるほど実感してくる

チャクラの相対性

従って ある種非常に相対的であり どうしてもややこしくなるのだ また効能においてもまちまちだ
確かに経典にいわれているような特徴はあるのだが 即座にそれを垣間見るわけではない 例えば マニプューラチャクラ をフル回転させれば そりゃお腹が温かくなるという実感はある しかしそれがどうやって人間関係に役に立ったといえるのか? の判断は後にならなければわからないし 追求すればするほど このあたりいい加減だな~っと当時から感じていた
ただそういった中で 長時間にわたる瞑想において 絶えずどっかには意識をつなぎとめておかなければいけないわけで 私の場合 それでよくチャクラを利用した
しかし これは長年の経験からハッキリわかるが チャクラは単体ではほとんどその効力や意味あいが発揮できない
ではどうやって発揮させるのか?というと チャクラは通してこそ なんぼ ? だといえる


チャクラは繋げてこそ効果が増す

通すというのは 例えば スヴァジスターナチャクラ と アジュナーチャクラ を通すということをやるのである
もちろんそれは、呼吸法によるイメージでやるのである 特に活性化に意味がある

アジュナーチャクラなどは 第三の眼 サードアイ そのものではないが非常に密接に絡んでいる まぁハッキリいってムーラダーラ もしくは、スヴァジスターナチャクラのエネルギーを アジナーチャクラ に通すことなく開発はほとんど無理だと 私は経験から学んでいる


喉のチャクラを侮るな

私は 過去 その他 仙骨のチャクラ = ムーラダーラチャクラ アナハタチャクラ 頭頂の サハスラーラチャクラ これらの認識は最初から最も簡単であり 最初から簡単にイメージ化が可能で 今まで経典にかかれているような認識に即座に至った
最も難しいのは ヴィシュダチャクラ である 今でもこの箇所だけは少し苦労する
最も 今もっとも活発でさかんなチャクラは自分の場合 手のチャクラである
そんなものは無い という人もいるかとおもうが 決してそんなことはなく手のチャクラはあるのである


究極の実在認識 哲学のチャクラ

実はそれこそが この ヴィシュダチャクラ 喉の チャクラ の覚醒を意味しているのであり もちろんそれだけでなく幻聴や究極的対立の意味 また 時空の認識 いろんなものに繋がっているのだが おそらくほとんどの人はここでつまづくことが予想される
そして チャクラ開発は ほとんどの場合、胸部のアナハタでとまり ずっとアナハタチャクラで認識エネルギーは停滞するのである
しかもこのチャクラは鍛える術が少ないときている
あるいは人により喉のチャクラを飛び越えて 先にアジナーが開けてしまう場合もあるだろう そうなると事は余計ややこしくなる


アナハタチャクラを突破せよ

いずれにしても一般的にスピ系において最も多いのが、このアナハタ停滞型だというのは 喉のチャクラが開けてくるとわかることだ


新興宗教は人の見聞を狭くする可能性が高い

こういうことは自分は実は上にあげた その某団体に居た頃から自己流の修行によりわかっていた。しかしこの団体は二言目にはチャクラ開発は順をおって 尾てい骨のムーラダーラからしっかりとやらないといけない=そうしないと開発できたとはいえない として一切信者の意見を聞かないのである。
 それは昔から今も全くもっておかしな話であり そんなことをいっていたら永遠にチャクラを使うことはできないだろう
そもそもチャクラなどというものは、自分が作り出しているものだからだ。
事実 この団体のアホな信者は、この段階でフン詰まりになってしまい 非常に狭い見分の人間と化していくのである この某団体は他の世界的なスピリチャリストや瞑想家など一切認めないというか、それらの良い部分を個別に自分に取り入れるという智恵をもたなく
批判すらするから笑ってしまう事態といえる
それが証拠にこの団体では喧嘩が多いから一目瞭然にそれがわかる。そしてそれ以後この団体出身者にチャクラがわかっている うまく説明できる者を一度たりともみたことがない。
 この団体は初期の頃それだけが自慢であるかのように必死にチャクラチャクラと騒いでいたくせに、今ではそれはどこふく風で そもそも自信がないのであろう、この団体の信者は、それを口にすることすらないのである 
私が二言目にいいたいのは、新興宗教というのは全てではないが、人を腐らせる また見聞を狭くするものだという点だ

最近わかってきたことは、どうやらこれは 自力本願 他力本願 にも結び付いてしまうようだ


チャクラは量子論的

話はチャクラの指摘に戻るが、もうお気づきだとおもうが 上のような指摘は、ヨガのマスター また 瞑想 の先生、経典によってもかなりのバラつきがある

また 上のような解釈は何によってそう評価されるのか? といえば それは瞑想中の認識より 後の日常における変化でその変化やチャクラの特性が確かめれるわけであ 従って立証にある程度時間を要するといえる

そのチャクラが開けた? 活性化した 覚醒した という証はどうしたって曖昧さと相対性がつきまとう

今わかるのは、それが故に 昔自分が所属していたその団体の長もこの領域においては、伝法会で内密に行うというスタイルをとっていた
当時はわからなかったが、それは何も事がそれだけ重大で秘密特殊性があるというよりも むしろそれらの 認識論 にそもそもバラつきと相対性が非常に多いことだというのが理由だと、最近はそう思うようになっていた

また私の独流の修行や クンダリニーヨーガ の 脳天ぶちぬきが、どのような効果をあげたのか? それは一重に 次回でも説明する

シンクロニシティ

これの超連チャンが結果として引き起こされるに至るのだ この問答無用の意識状態になるというのが私の最も訴えたい箇所であり
これこそが最もお宝だったと今痛感している 自分は後にせっかく修行でえたそれをものの見事に破棄するようなことをしていまい、今はその能力が完全に低下してしまったのだが それについてはいずれ後述する

そして 私の瞑想歴はやがて 直観力鍛錬が主流になり そして50歳ちかくでニサルガダッタマハラジを知ることとなり

超能力チャクラ中心修行 ⇒ 直感鍛錬,シンクロニシティ 研磨のための瞑想 ⇒ 究極の実在認識の瞑想

というように発展していくのであるが、この 究極の実在 認識 という現在の過程において 今ハッキリわかってきたことがある
究極の実在については いずれ詳しく述べていくが、次の動画類が最も端的に言い現わしているので参考にされるといいだろう

虚空の独り言5 あなたを溶かし去りなさい
Art The Oasis of Zero さん
この人の 虚空の独り言 シリーズ は全て良い 究極の実在のみを追求した姿勢がある

そして私は、ここに今 おそらく日本において 初の ヨーガ理論を発表しよう
わかる人はわかるはずだ
名付けて 『 チャクラ法則性 エントロピーの法則 』
(※ 瞑想が深まれば深まるほどチャクラの法則性は混沌となりやがてその実態は消える )

まず 結論からいえば チャクラに実態はない
ここからがさらに重要で、その中核が なぜに実態がないか?といえば そもそもこの世は幻想にすぎない という解脱者の見解と同じく
それと同レベルに チャクラに実態はない のである どうかな? おわかりだろうか?
さらに重要なのは、ここで頭をさらに柔軟にして 量子論を考えながら 次のことを考察してみよう
量子力学がニュートン力学と違うポイントというのは、量子という超微細な世界の認識論であり つまりそれだけ 神秘性が増す領域となるわけだ、物理学では神秘という言葉はつかわないが なら 精神現象学 という表現でいえば

チャクラ 理論が通用する範囲というのは、より精密に チャクラ を定義づけしようとすればするほど どんどんその神秘性は増していく

神秘性が増す ⇒ それだけ実態がなくなっていく

実態が無い ⇒ 各チャクラの特性 法則はなくなっていく
どうかな? おわかりだろうか?

ここでさらに集中して認識を深めてみよう つまりそうなってあたりまえなのだ

それは、そもそも 瞑想 という名の手法の動機 に事を発している そもそも 瞑想 なる行為は この世のゴチャゴチャした 不条理からの解放を求め行うものであり いうなれば 変な言い方をすれば、この世の複雑多岐な理屈と混沌 こういったものからの離脱にその動機がある
ところがそこで求めていった結果 辿りつくものが 数学的複雑性をもっているのでは そもそもがおかしな話であり意味を成していない

またそうなるはずがないのである。なぜならそれは 個人にとっての他人が介在する外部世界と違い 自分の心(精神)の本体に入っていくのにそれが本質的にわからないなどということは決しておきないはずだ

なのに チャクラ は階層構造をしていて 複雑多岐であり捉えるのは難解だ ということがすでに迷妄に入り込んでいるのである
つまり そのように 瞑想現象 が進行してしまった 貴方という存在時空が造り上げてしまったのである

考えてみれば それは全くそのとおりでチャクラとはそもそも その体の部位を集中に便利になるように区分けの象徴をしているにすぎない

そして その区分け上でてくる 腹 胸 喉 眉間 といった集中ポイントをそこの肉体的特性の象徴と見立て よりイマジネーション化がしやすく さらに意味をもって促進されるようにする 一種の暗示法なのである

したがって、瞑想もより発展すれば 自分の肉体より 3m ほど離れた場所に、意念の力で アナハタチャクラ を想起することだって可能である
それができないのはおそらくそれだけまだ瞑想に熟達していなからだといえる
まぁわざわざイメージ化が困難な場所にそんなことをする必要もないが・・・

つまり 今自分が集中しようとしている実態が 魂なのか? マインドなのか? 智慧なのか? 肉体なのか? そういった使い分けの初歩の段階で チャクラ とはその集中を助ける ただ単なる表象にすぎないのであり 瞑想も3時間以上にわたる場合 チャクラなど一切消え失せることからもそれは容易にわかることだ

(※ただクンダリニーヨーガにおける脳天ぶちぬき前のチャクラ開花にみえる現象の説明は次回するものとする)

なぜなら 2~3時間以上の瞑想の場合は 今!自分の心像に沸いた挙動は、音なのか?光なのか? そういった瞬間さえ訪れるわけで、その領域において チャクラがどうしたこうした?というのは滑稽でしかない

従って2~3時間にわたる瞑想の場合は、チャクラは完全に無用であり邪魔でさえある そもそもそんなものは実在と何の関係もないのである

ただそれでも迷うだろう チャクラ マニアのためにあえておさらいをするなら


チャクラ 不確定性原理

唯物性 ⇒ 非物質性( 神秘性 ) において 神秘性が高まれば高まるほど チャクラ だけでなく全ての 法則は意味を消失していく領域になる

これは あたりまえで超簡単にいって 神秘性 とは何ぞや? ということであり そもそも 神秘性 とは合理的法則が効かないからこそ 神秘 という

おわかりだろうか? 考えてみればあたりまえで、それの意味するのは、最初からそうであるもの(究極の実在)にどんどん近づいている証拠である

チャクラがバリバリ覇権を効かしているのは 瞑想が深まっていない証拠だということがわかるだろうか?

そもそも肉体さえ全く意味を成さない領域に近づいているのに、ただでさえ最初から神秘性 が高い チャクラ などという表象が意味を成立させているプロセスなどほんのわずかな間だったとわかるだろう つまりは2極性が意味を成していた頃の偶像ということだ

なんといっても最初からそんなものは、量子論的意味が濃く神秘性が高いのだから・・・

よって皮肉なことに チャクラ に拘っている間は なんとその チャクラ さえ確定することなくおわるのだ つまりチャクラは確定できずおわってこそ! 瞑想が成功しているといえるのである。おわかりだろうか?

この意味がしっかりと認識できた人は もう チャクラ に拘る世界からはおさらばして 即座に 究極の実在 を求める瞑想に目標を定めるべきだろう

究極の実在を求める瞑想とは何か? それは最も簡単でかつダイレクトな
「 私とは何か? 」この1点のみを追求していく瞑想である

そう! つまり 貴方もそろそろ チャクラ で チャラ チャラ と論争する段階は終焉したということである

チャクラで チャラチャラ とお飯事ごっこをする時期は過ぎ去ったという証である そろそろ次のステップを目指そう

この意味がわからない人は、遠慮することなく 自分にコメントでもメールでもしてください 瞑想にやる気がある人にはどこまでも答えます

しかしこのブログをちゃんと読んだのにも関わらず チャクラは順次開発しないといけないだとか 活性化 と 覚醒 は違うだとかそういったくだらない 浅い修行者がいうような言葉上の解釈論 をいう輩は、相手にすらしないのでよろしく

 なぜならそれはその時点で瞑想を2時間以上にわたってやっていない証明になってしまうからだ さらにいうなら 瞑想 すらしたことがないことの証明となる なぜならチャクラとは最初こっちからその基点、基盤をイメージ化していくことが基本だからである。

 尚現代文解釈力 つまり 国語力 の足りないものに答える暇はないのであしからず しかし貴方がちゃんとこの文全てを真剣に読んで 瞑想世界 に前向きであるなら いくらでも質問、意見ください。その態度がみえる限りどこまでも質問や意見にはお答えします
https://twitter.com/hermitregion

shiverem2017@gmail.com

イラスト素材
しょこらんさんによるイラストACからのイラスト

おにちゃんさんによるイラストACからのイラスト                                                   

uatelierさんによるイラストACからのイラスト
































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